周辺のオススメ

スポンサードリンク
スポンサードリンク
スポンサードリンク
楯の城とは青梅地方に拠点を置いた豪族三田氏は、勝沼城を居城としていたが、北条氏照の八王子滝山城に入城に伴う情勢変化で永禄年間の初めころ二俣尾の辛垣山に城を築いた。同時期に南東約3kmに物見の矢倉台を築き、この楯の城も青梅街道を抑えるため築かれたと思われる。元禄六年(1563年)北条氏照の軍勢が辛垣城を攻め三田氏は滅亡した。その後、北条氏の家臣・田辺氏を城主とし、しばらく存続したが、天正十八年(1590年)の豊臣秀吉の小田原征伐により、廃城となった。山門は三田氏が滅亡後、楯の館に居住した田辺清右衛門尉惟良の屋敷にあったものを孫の宇太夫の頃に移したと伝えています。青梅市の市の重文に指定されています。