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名前 |
落馬橋 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.0 |
落馬橋(おちばばし)。不吉な名前の橋である。「旧鎌倉街道をやって来た武者がここで落馬して果てた説」と、「武者がここで休息していて見事な落葉を眺めて感じ入った説」とがあるらしいが、いずれも嘘くさい。「馬が落ちる」つまり、馬が川に引かれるということで、これは東久留米の河童伝説と関連があると思われる。河童の駒(馬)引き伝説は各地にあるが、中世以降の死牛馬取得権や、皮革産業(そしてジビエ料理なども)と関係があったという指摘がなされている。当時、江戸(関東)のルールでは、牛馬が死ぬと穢多頭である弾左衛門一派に無償で持っていかれたため、武家や寺社、豪農は、死に瀕した(あるいは怪我で使い物にならなくなった)牛馬を、非公認の業者に依頼して水死させ、幾ばくかのキックバック利益を得ていたのではないだろうか。しかしそれを誰か(人)がやったとなると幕府に処罰されるので「川で河童に引かれました」ということにした。黒目川には、そうした川で生きる業者たちがおり、その名残がこの橋の名に残っているのではないか。「河童という妖怪が東久留米にいた」のではなく、「河童と呼ばれた人たちがこの辺りにいた」のだとすれば、町おこしをしようとしている地元のロマンは薄れるかも知れない。しかし、河童という「見立て」を繰り出しながら、したたかに水と生きてきた庶民の知恵にもまたロマンを感じるのだが、はてさて、いかがであろうか。