昭和の歴史感じる雹害記念塔。
雹害記念塔の特徴
昭和2年に建てられた珍しい雹害記念塔がある。
青梅から瑞穂、武蔵村山等、広範囲で被害を記録している。
散歩地図を片手に訪れる価値がある史跡です。
珍しい雹害記念塔。災害を後世に伝えようとしています。
昭和2年5月15日の降雹の道筋は、青梅から瑞穂、武蔵村山、東大和、小平にかけての地域で被害は発生していて、青梅の霞村・新町では、開村300年にしての大被害だったとして、永遠に記念しようと、「雹害紀念塔」建設の話が持ちあがったと云う。紀念塔に、碑文はないが、その概要は青梅市の吉野廣助氏が綴った『新町雹害紀念誌』に記されていて、植松先生が書き写されていた。
青梅の資料館で買った散歩地図を眺めていたら、新町御嶽神社の場所に、「雹害記念塔」の文字があったので行ってみたよ。地図をレンズで拡大したけど、「あられ」ではなく「ひょう」です。神社の手水舎の北側に、記念塔がいくつかあるけど、目的の塔は、白い壁の建物の南側に、雨かんむりの文字の彫られた、明るい灰色の塔だよ。細い角柱の上に丸い珠があるよ。この大きさのものが、頭に落ちてきたら、痛いでは済まないよなぁ、と思いつつ、離れたところから写真を撮るだけにしたよ。
| 名前 |
雹害記念塔 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 評価 |
3.3 |
| 住所 |
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降雹記念塔は、 昭和2年(1927) 5月15日 午 前 11 時 過ぎから 約30分間、直径1.5〜2cmの雹が降り続き、大きな被害があったことを後世に残すために建てられました 。青梅市では、令和3年(2021)10 月15日、「自然伝承碑」の一つとして こちらの「降雹記念塔」が登録されました 。※他 2つは、今井3丁目 の「水窪排水記念碑」と 御岳2丁目の「滝本の洪水防石」