真田幸村の娘・阿梅の墓。
当信寺の特徴
白石城の二ノ丸大手二ノ門を移築した山門が存在します。
室町時代の一木造り阿弥陀如来像が本尊として祀られています。
真田幸村の娘、阿梅姫の墓がある由緒あるお寺です。
寺の道路向かいに駄菓子屋があり、65年前店でビー玉を買って公園内で遊びました。また、寺の裏に木造のステージがあり、良く寺の周囲で遊び、寺の裏には、真田幸村の娘、お梅の墓は真田幸村のテレビなどで知りました。手を顎にあてた像だった記憶があり、首がグラグラだった記憶あり、半世紀以上の昔がよみがえり、寺の住職も何代目が会話した事もあり、懐かしてたまりません。
山門は白石城の東口門として建っていた門を移設したものです。2023年7月の参拝時に本堂と山門の工事をしていました。境内には真田幸村公の子供の墓があります。
ここ功徳山当信寺の山門は白石城の二ノ丸大手二ノ門を移築されたものです。山門は国登録有形文化財です。木造入母屋造りの本堂も国登録有形文化財です。境内には真田信繁(幸村)の娘の阿梅の墓があります。その横には片倉四郎兵衛守信(大八)の墓もあります。境内はとても静かでとても良い雰囲気がしていて歴史も感じられとても良かったです。
白石駅徒歩圏内。真田好きには、是非、訪れて頂きたいところで大阪夏の陣にて討ち死の覚悟を決められた真田幸村公が、敵将片倉小十郎公に行く末を託されたご息女で後に片倉小十郎公の後室となられる阿梅さまとご子息大八さまの墓所で、阿梅さまとご両親(父幸村公、母大谷吉継公ご息女竹林院さま)の御位牌も安置されています。立派な山門は白石城二の丸より移築されたものと伝わり、文化財指定のご本尊の阿弥陀如来さまは、大阪冬の陣の折、大阪天王寺より持ち帰られたものと伝わります。みちのくの地で真田一族の往時を偲んで下さい。御朱印は寺院に隣接しているご住職宅にて頂けます。
閑静なお寺。
真田の末裔が眠っています。
真田幸村の娘、片倉小十郎景綱の細君、阿梅姫が祀られている由緒あるお寺さん♫
落ち着いた感じのお寺。
ここの御本尊阿弥陀如来像は一木造りで、制作年代は室町時代と推定されます。「風土記御用書出」によると、片倉家中の遊佐勘四郎が大坂夏の陣の際に戦火に包まれた天王寺より持ち帰ったものとあり、 以来当信寺の本尊とされています。
名前 |
当信寺 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0224-26-3473 |
住所 |
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HP | |
評価 |
4.0 |
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このお寺の隣の中央公園で子供の頃によく遊んでました。昔は公園の前に駄菓子屋さんがあって、学校帰りの子供達が公園でたくさん遊んでた。その隣のお寺に真田幸村の娘と息子のお墓があるなんて。昔のNHKのドラマの『真田太平記』をひかりテレビで見てから行ったら、ひとりで凄い盛り上がりましたね。行ってみるとなんてことは無い古いお墓なんだけど、歴史ロマンを感じられます。奥羽越列藩同盟(幕末の反維新政府的攻守同盟)の事(白石城で会議が行われた)は小学校の時に授業で教えてもらった記憶がある。札幌の白石区への開拓団の話(白石市の人が白石区と名付けたらしいです)とかも覚えてるし、当信寺から七十七の方へ向かう道の交差点に段差があるのもワザと見通しを悪くして敵との戦いの時に時間稼ぎをするためだと教わった。歴史探訪ミュージアムの3Fのシアターで史実ドラマを見ると分かります。・『鬼小十郎帰るに及ばず』~片倉家と真田家の関わり・『賊にはあらず』~札幌市白石区が出来た理由意外に白石市は歴史の町なんですよね。