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碑文この土地改良区は富士の雄姿が眺められ前面に豊かな田園がくり広がる地帯であった。浦和市別所、鹿手袋、関、沼影及び田島、西堀の一部が含まれた土地である。戦後の食糧増産に対処するため昭和28年鹿手袋地内に救農事業を受け入れ1号線と施設した。この救農道路を根幹として土地改良区の発起に努力し関係地区の理解ある協力により発起人会を結成し関係者250名を擁する改良区が発足した。事業施行に当っては県市当局を始め関係機関の協力と国庫及び市補助金602万6700円の支付を受け総事業費1億200万円余を投じ、昭和47年3月事業を達成した。道路及び水路は整備され区画は整然として郷土は著しく変ぼうした。これひとえに県市当局を始め関係者役職員の努力の賜ものであり、また事業なかばにして故人となられた方々に対しても深しんなる感謝をささげると共にいまここに本事業のしゅん工を祝して高沼用水のほとりに記念碑を建て由来を刻み後世に伝える。昭和47年3月6日。