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名前 |
供養塔型道しるべ |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.0 |
いわゆる巡礼供養塔(記念碑)の一種。兜巾型。背面は、コンクリートブロックと密接しており、読めない。以下、刻文を書き起こす。「百ヶ所供養塔 寛政四年壬子二月◻️」「右 あき者道」「下郷武良 左 く◻️んをん三ち (人名以下略)」(◻️は剥落)「百ヶ所供養塔」は、「百ヶ所」とは西国三十三所、坂東三十三箇所、秩父三十四箇所の観音霊場を指す。現在では廃れてしまったが、四国のお遍路さんみたいなものが関東にもあり、それら全ての巡礼達成の折りに、こういった石碑を建てることがあった。「寛政四年壬子」は、1792年のことで江戸後期に入る。「壬子」は干支。「あき者」は「あきば」のことで、秋葉神社のことを指している。近隣の石製遺物にも刻まれているので、照らし合わせれば簡単に判読できる。昔は右の方向に行くと秋葉神社に通じたのだろう。「下郷武良」は「下郷むら」で地名。現在地を示すものだろう。「く◻️んをん三ち」は「くぁんをんみち(かんのんみち)」であろう。どこのことかさっぱりだったが、ネットの情報によると、どうやら福寿庵百観音を指すと言う。