地元名士が守る貴重な裏門。
人形塚付近に設置された裏門です。正面から見ると立派な武家門といった趣ですが、真横から見ると屋根の張りが強く、さすがはお城の門と言った感じです。廃城後に払い下げられた門を買い取った地元の方の志の高さと財力には感心させられますし、関東大震災、太平洋戦争、そして東日本大震災を生き延びたこの門は素晴らしいと思います。しかしながら、現在は城址公園に展示されているだけで、実際に通る事は出来ません。城内での位置は不明との事ですが、少なくとも多聞櫓などもなく、そういかつい作りでもないので、戦いを想定していない、役所を区切る通用門のような用途だったのではないかと思います。岩槻城については私自身勉強を始めたばかりですが、墨書銘と古文書のすり合わせや、古写真や古老への聞き取りや、あるいは城郭の専門家の鑑定などで位置を絞り込めない物かと思います。また、蛇足ながら廃城後明治42年(1909年)以降にこの門を保存されてきた方の手に渡る前はどうなっていたのか気になるところであります。いずれ正しい位置が分かり、補修された裏門を皆様が通る事が出来ますように。[岩槻城裏門]この門は岩槻城の城門である。岩槻城の裏門と伝えられるが、城内での位置は明らかではない。現状では、門扉を付けた本柱と後方の控柱(ひかえばしら)で屋根を支える薬医門形式となっている。間口約3m、奥行き約2mであり、向かって左側袖塀に門扉左に潜戸(くぐりど)を付属している。屋根は切妻造で瓦葺き。左右の本柱のホゾに記された墨書銘により、江戸時代後期の明和7年(1770年)に当時の岩槻城主大岡氏の家臣武藤弥太夫(やだゆう)らを奉行として修造され、文政6年(1823年)に板谷官治(いたやかんじ)らを奉行として修理されたことが知られる。数少ない岩槻城城関係の現存遺構の中でも、建築年代の明確な遺構として貴重な物である。廃藩置県に伴う岩槻城廃止後、民間に払い下げられたが、明治42年(1909年)以降、この門を大切に保存して来られた市内飯塚の有山氏から岩槻市に寄贈され、昭和55年(1980年)岩槻城跡のこの地に移築された。なお、門扉右の袖塀はこの時付け加えられたものである。
| 名前 |
岩槻城裏門 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 電話番号 |
048-829-1723 |
| HP |
https://www.city.saitama.jp/004/005/006/001/017/010/003/p002178.html |
| 評価 |
3.4 |
| 住所 |
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「廃藩置県」を無事に乗り越えて…地元の名士が保存し 大切にされて来た由緒はっきりとした経緯がある遺構…貴重な門ではありますが 城の裏門とは云え 少々物足りない気がします。