厳かな神域で得る大吉体験。
八幡神社・田村神社の特徴
岩手県一関市の高台に位置し、神聖な雰囲気が漂う神社です。
坂上田村麻呂にまつわる歴史を感じられる厳かなパワースポットです。
立派な御神木や整備された環境があり、参拝者を歓迎しています。
厳かな神域地元の方々で守っているのが伝わる御朱印もオシャレでよい参道に居る狛犬がかわいい🎶親子夫婦杉も珍しい大切にしてほしい主祭神 応神天皇稲荷神菅原道真公。
祭神⭐誉田別命(八幡神社)⭐坂上田村麻呂(田村神社)一関市郊外の山の頂上に鎮座する神社です。誉田別命(応神天皇または八幡神)を祭神とする八幡神社に、坂上田村麻呂を祭神とする田村神社が相殿という形で祀られている神社です。坂上田村麻呂が蝦夷征討の際、現在の釣山公園の頂上に陣営を敷き、戦勝を祈願し諏訪大神を祀ったのが田村神社の始まりです。その後、源頼義・義家が安倍貞任征討の際にも同じ場所に陣営を敷き、周辺地域に創建した八幡宮の内の1つが八幡神社です。
一関八幡神社は、東北本線一関駅の南西800m、徒歩15分程に鎮座しています。相殿の田村神社と合わせ、「一関八幡神社 相殿 田村神社」とも呼ばれており、岩手県一関の総鎮守として知られています。延暦年間(782年~806年)坂上田村麻呂が、東夷平定の際に館山(釣山公園)に陣営を敷き、諏訪の大神(長野 諏訪大社)に勝利を祈願したのが起源とされています。康平4年(1061年)前九年の役で、安倍貞任を征伐する源頼義・義家父子が田村麻呂と同じく館山に陣を敷き、合戦の祈願のために伊勢の神宮や石清水八幡宮へ奉幣使として、中原大夫清房を使わせたところ、両宮の大御神の御神託を賜り、この地の八方に八幡宮を勧請した第一社が、この一関八幡神社となります。天正2年(1574年)相殿に八雲神社、文禄(1593年)に諏訪神社を再奉して、寛文2年(1662年)に一関藩主 伊達宗勝により、現在の地へ遷座されました。元禄7年(1694年)に一関藩へ赴任した初代田村藩主 田村建顕が、この地に田村麻呂を慕う人々が多いことから、伊勢へ伊藤忠助を代拝参言へ使わした折、 土山 (滋賀県甲賀市)に鎮座する田村社の御分を田村神社として当社の相殿へ併せ祀り、藩主田村氏の崇敬神社、また一関の総鎮守としてお祀りされております。また現在、千畳敷(釣山公園)へ鎮座している田村神社は、大正時代に田村家江戸屋敷邸内へ祀られていた御社を遷座したものとなります。明治4年(1872年)郷社、明治8年(1876年)村社、昭和5年(1930)再び郷社に列します。昭和46年(1971年)12月に社殿が全焼し、貴重な文化財(田村建顕公、射的奉納弓矢、算額等)を焼失しましたが、当時オイルショックの不況下の中、氏子崇敬者の篤い奉賛により、昭和48年(1973年)現在の御社殿が再建されました。御祭神:誉田別命、坂上田村麻呂、坂上輝定境内社:竹駒神社(倉稲魂命)、天満宮(菅原道真公)、八雲神社例祭日:4月18日(田村神社例大祭)、9月15日(一関八幡神社例大祭)
初めて訪れました。駅からも近く街中の立地で、参拝客に会わないのが不思議に思う立派な神社でした。参道もなかなか長かったです。無人で御朱印はもらえないかと思ったら、賽銭箱のとこに用意されていて手に入れる事ができました。
田村神社って、2つありますね。マップをみると。公園内の案内標識には、西側の田村神社を指し示していて、道を間違っちゃいました。一ノ関学院方面から登ってきたんですが、ちゃんとした道がなく、案内版を頼りにしたんですが。朝早くいきました。静かな環境ですばらしいです。
我が家のパワースポットです。定期的に参拝して充電しています。七五三でお世話になった娘は、八幡神社が大好きになり、今では娘から「そろそろ参拝行くよ」と急かされます。コロナ渦やストレス社会で色々と心が休まらない昨今ですが、このような気持ちが落ち着ける場所が身近にあることに感謝です。
駅近くとは思えない感じ。駐車場はわかりにくい場所です。
神社までは細い道路を通って駐車場まで行きます。すれ違い注意。冬は駐車場内や階段は凍結します。初詣の時はしばらく歩いた一関学院の駐車場も解放されています。「良い流れ守」を毎年購入しています。
とても素敵で厳かな感じでした翠も多くて、ここだけ空気が違う感じ。ただ途中、道が狭いので要注意です。
| 名前 |
八幡神社・田村神社 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 電話番号 |
0191-23-2906 |
| 営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
| HP | |
| 評価 |
4.2 |
| 住所 |
|
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