能舞台が魅了する神聖空間。
中尊寺 白山神社の特徴
中尊寺の奥に位置する白山神社は、神々しい雰囲気があります。
国の重要文化財に指定された能舞台が隣接しており、圧倒されます。
日本各地にある白山神社の一つとして、歴史を感じる場所です。
雨の中ぬかるんだ参道を転びそうになりながら一番奥の神社へ参拝。雨の日や前日雨だった場合はサンダル等は避けた方が良いです。
国の重要文化財指定の能楽堂があります。伊達藩主が建てたものだそうで、茅葺き屋根です。とても興味深い造りでした。
神々しい場所です。
能舞台に魅了されてしまった。
世界遺産巡りで伺いました。まさにパワースポットです。
境内の奥に鎮座する白山神社はかつては中尊寺の鎮守社でした。能舞台は国の重要文化財に指定されています。有り難く、”白山神社”の御朱印を頂きました。
白山神社(はくさんじんじゃ)は、岩手県西磐井郡平泉町平泉衣関にある神社。日本各地に数ある白山神社の一つです。かつては中尊寺の鎮守社でした。能舞台は国の重要文化財に指定されています。伝承によれば850年(嘉祥3年)に円仁(慈覚大師)が加賀国(現在の石川県)の一宮である白山比咩神社より勧請したことが始まりとされています。勧請と同時に白山権現と号せられ円仁自ら彫った十一面観音を本尊として、その後配仏として橋爪季衡(すえひら。藤原清衡の子)の持仏運慶作の正観音と源義経の持仏毘沙門天が寄進安置されていましたが、1849年(嘉永2年)の火災で焼失しました。能舞台は1853年(嘉永6年)に仙台藩主伊達慶邦によって再建されました。近世の能舞台としては東日本唯一のものであり、2003年(平成15年)に国の重要文化財に指定されています。能舞は1591年(天正19年)、時の関白豊臣秀次と伊達政宗が社参の折に観覧に供し以来これを続行しています。1876年(明治9年)には、明治天皇が東巡の折に当社に臨幸し、古式(田楽、開口、祝詞、若女、老女)能舞(竹生島)を観覧しました。白山神社の祭神は、伊邪那岐尊(イザナギノミコト)・伊邪那美尊(イザナミノミコト)で、慈覚大師が加賀の一の宮(現在の石川県の白山本宮)より分霊されて一関磐井川の上流(現在の一関市本寺)にあったお社を平泉に遷座し奉り勧請したのがはじまりと言われてます。以後北方を鎮護する神として、また中尊寺が建立されてからは中尊寺の鎮守としても信仰されてきました。なお、白山神社そのものは白山信仰に関係があり、北陸の霊峰白山で修行をした修験者達によって全国に広められたと言われています。また、境内にある能舞台と鳥居は、嘉永6年(1853年)旧伊達藩主伊達慶邦公によって建立寄進されたもので、能舞台は橋掛、楽屋などを完備した構成の近世能舞台遺構としては東日本では唯一とされ、平成15年5月、国の重要文化財に指定されています。中尊寺の白山神社では通常6月と12月にしか設置されない厄払いの「茅の輪」が常におかれており、この「輪」をくぐってから参拝するようになっています。
能舞台と隣接しているので、まとめて記載します。白山神社に向かうとそこには朱色の鳥居があります。それを超えると、大きな能舞台が、そして奥に白山神社があります。その右奥には干支ごとの小さな神社があります。能舞台の対面には明治天皇来訪記念を示す碑が建っていました。とにかく圧巻なのは能舞台。仙台伊達家による奉納だとのこと。色落ちはしていますが、まだ当時の色が残っています。創建当時はどんなに鮮やかな舞台だったのか、火を焚きながら、酒杯を傾けながら能を楽しんだんでしょう。白山神社は小さいながらも参拝客は多かったです。神主さんもとても丁寧親切な方でした。
中尊寺の中にある神社です。能楽殿が立派で十二十二支の小さいお社が印象的な神社です。
名前 |
中尊寺 白山神社 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0191-46-4397 |
住所 |
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HP | |
評価 |
4.3 |
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能舞台の方に圧倒されて、お社はそれ程拝めず…。