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巽は古くは河内国渋川郡に属し、明治22年4月1日の町村制施行の際、当時あった大地、四条、伊賀ヶ、矢柄、西足代の五つの村が合併して一つの村となりました。村名については、この地域が大阪城からみて辰巳(南東)の方角に位置するため、「巽」の字をあて「巽村」になったとの説が一般的なようです。旧村名はそれぞれ巽村の大字となりました。明治29年に渋川郡は中河内郡と改められ、昭和23年の町制施行により中河内郡巽町となり、昭和30年、大阪市に編入され、生野区となりました。この辺りは、成り立ちが古く「横野」という名で「日本書紀」や「万葉集」にも出てきます。「万葉集」では「紫草の根延ふ横野の春野には君を懸けつつ鶯鳴くも(詠み人知らず)」と詠まれ、その歌碑が横野神社跡(巽西3丁目9番)に建てられています。