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旧町名継承碑、逢阪町(逢坂町)。この碑で言うところの「逢坂」は、松屋町筋超えて東側の天王寺区逢阪1丁目にある。明治初頭、東成郡天王寺村大字天王寺の一部だったが、明治30年に大阪市に編入されて南区天王寺村大字天王寺となった。その後、明治33年に逢坂下之町の一部となった。下って、大正14年の行政区画変更に伴い、天王寺区に編入され、さらに下って昭和18年の行政区画変更で浪速区に編入された。逢坂下之町から逢阪町となったのは、昭和37年のことであったが、その18年後の昭和55年住居表示の変更の際、下寺三丁目の一部となり、逢阪町という町名は消滅した。碑文によれば、町名の由来は、四天王寺西筋の坂松山一心寺と、菅公と少彦名を祀る安居神社との間を通じる坂の名前による、とのこと。少し寂れた感じのする通りにあり、通りがかって3回目でやっとこの碑があることに気が付いた。