風車見える津島本宮で祈願。
津島本宮社の特徴
伊達政宗公が祈願した歴史ある神社です。
昔からの伝説と共に、源頼朝の勧請の地です。
風車公園近くに位置し、アクセスは便利です。
長沼フートピア公園内にある津島本宮社駐車場から階段か坂を登って行くとあります。御朱印はお賽銭箱に入れて棚の中から持って行くというスタイルです。周りには杉の木があり、花粉がめちゃくちゃ飛んでました。スギ花粉の方はお気をつけ下さい。
登米市の津島神社。宮城の縁切り神社と聞き参拝させて頂きました。境内には[重軽石]か2種類ありました!きちんと説明を読んで是非試して見てください。人型流しをすることができました。社務所に紙製の人型がありました。御朱印の種類やお守りなども数多くありました。 平日だったこともありとても空いておりました。ゆっくりお参りできて良かったです。
神社裏が長沼公園があり神社の鳥居から風車が見える珍しい神社、お守り、御朱印等はBOX型の扉を開け頂き初穂料は隣の料金BOXに入れるセルフ型でした。
伊達政宗公も祈願された神社とのこと無人販売で御守りを購入できます。
オランダ風車から少し離れた所に鎮座してます。ゆっくりお参り出来ますよ。
風車公園の隣にありました。伊達政宗にも由来があるんですね、歴史に触れられるのは楽しかったです。
天平2年(720)創建と伝わり、文治5年(1189)源頼朝が平泉を征討したあとの戦勝満願のお礼参りの後、代官・葛西壱岐守に命じて北方村に勧請したと伝えられています。天正19年(1591)豊臣秀吉の日本統一に最後の抵抗をした葛西大崎両氏は、士民連合して大一揆を起こし佐沼城に篭城しました。秀吉の命を受けた伊達政宗はこれを包囲したのですが、沼川深田の佐沼水域は難攻不落で、万策尽きた政宗は津島本宮に祈願したところ、惣然と白鷺の群れが飛来し、沼の浅瀬に降りたちました。この深沼が浅いと知った政宗は籠城軍を一気に攻め、城を落とすことが出来ました。慶長19年(1614)政宗は領主・津田民部影康に命じて佐沼郷の総鎮守とするため、天形山より佐沼に分社し、これより天形を本宮と称しました。元来は祇園天王社と称していましたが、明治元年に神仏分離令が布告され、明治3年に佐沼の分社を津島神社と改称し、天形を津島本宮社としました。主祭神:素盞鳴尊例祭日:4月14日、11月23日。
風車側からも来る事ができる。歴史を感じます。
正式な入り口、鳥居は道路面にありますが、長沼公園の風車の横にも裏から入るための鳥居があります。おそらくは長沼公園よりも古くから神社があったのでしょうが、公園が人気になりそちらに人が集まる様になった為、神社が目立たなくなっています。是非、公園に来た際にお参りして下さい。
| 名前 |
津島本宮社 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 電話番号 |
0220-22-4804 |
| HP |
https://www.miyagi-jinjacho.or.jp/jinja-search/detail.php?code=310030671 |
| 評価 |
4.3 |
| 住所 |
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津島神社の本宮ですが、無人で整備も清掃も行き届かない印象です。御朱印は書き置きが数種類ありました。