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大阪市の建てた、橋梁顕彰碑。御用瓦師であった寺島藤右衛門とのゆかりが説明されている。寺島藤右衛門は、豊臣家、徳川家両方から重用され特権も与えられた、瓦職人の棟梁であった。瓦(とくに鬼瓦)は、芸術品としても珍重されたようである。屋根を葺き替えた際に、屋根から降ろした古い大きな鬼瓦を、わざわざ説明用の高札を横に建てて境内に安置している寺院も多い。以下、大阪市の碑文全文を転載。//----------瓦屋橋之碑瓦屋橋は元禄時代の中期以降に初めて架けられたものと考えられる。この地は、徳川幕府から瓦の土取場として上町台地西辺の地、約4万6000坪を借り請けた御用瓦師寺島藤右衛門の請地である。当時橋の東詰め一帯は南瓦屋町と呼ばれ、付近は積み出しの船で賑わっていた。江戸時代は橋長約38メートル、幅員約3.8メートルの木橋で、約15おきという周期の早い架け換えが行われており、橋筋の町々により維持されてきた。近代橋になったのは昭和7年(1932年)で橋長37.7メ ートル 幅員6.5メート ルの鋼桁橋である。昭和41年3月架け換え。昭和45年3月歩道部拡幅され、平成10年橋面改装し現在に至る。平成10年6月 大阪市。