1910年の歴史が息づく観音坂通。
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1910年大阪市電玉造線の工事を進める際、「切り通し」を作り架けられたのがこの橋である。
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名前 |
高津原橋 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.3 |
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大阪市中央区谷町六丁目を東西に走っている観音坂通と東西ともに行き止まり。西側は上町台地の崖になっていて古代は大阪湾が望めた。そして、松屋町筋には下りることが出来ない。東側は上町台地の尾根で急坂があって谷町筋手前までである。その西の端付近に高津原橋がある。この橋は歴史が浅くて、江戸時代にはなかったのである。架橋されているのは長堀通で、この通りは松屋町筋の西側は長堀川という運河が江戸時代に開削された。ここに大阪市電が走っていたのだが、東側へ延伸したくても当時の電車の能力ではこの崖が登れなかった。そのために上町台地に掘割を作り緩やかにして谷町筋へと市電は延伸された。その時に作られた橋が高津原橋なのである。市電完成後道路が拡幅されて長堀通が現在の形になる。1910年頃に骨屋町筋にこの橋は架けられた。そして、道路拡幅時には架け替えられた。現在の長堀通には市電はなく赤字路線になっている、大阪メトロ長堀鶴見橋線が地下深く走っている。道路を通ると眼の上に立派な陸橋があるのでびっくりする。市電に登坂能力があればこの橋は作られることは無かった。長堀通りを拡幅したさいに廃止はできなかったのだった。奇妙な諸々の発明などの順番が変わればこの橋は存在しなくても良かった。元々、松屋町筋からほど遠くないこの橋の高さまで、急坂があったのだと昔の地形を思い出すと楽しい。天王寺七坂よりも急な坂が存在したのである。