赤井川村の優しさが溢れる!
赤井川村役場の特徴
住んでいても選挙権がない村で話題の赤井川村の役場です。
村の中心部に位置し、カルデラ温泉も近隣にあります。
村民限定の図書コーナーがあり、地域密着型のサービスが充実しています。
カルデラ公園で、子供達を遊ばせていました。4月の中旬、公園内のトイレがまだ使用出来ない状態でした。冬期間閉鎖。土曜日でしたが市役所が開いていてトイレを借りることが出来ました。感謝です。\(^o^)/
日本で唯一、住んでいても選挙権をくれないまち。
余市の飲み屋に居たのを目撃しました。男性の方と女性の方が抱き合っていました。多分、夫婦なのかなと仲間内で話してましたが、お互い違う名字で呼ばれてました。浮気だったみたいです。他は、女性職員が同僚のメールを大暴露したことも有名ですよね。閉ざされた面白い役場なので星5です。
村の中心部にあります。隣にはカルデラ児童公園があります。
図書コーナーの利用は村民限定でした。
当然の担当回りのお役所仕事は仕方ないとして、皆さんとても優しかったので星を5つ。皆様に感謝を。
近くにカルデラ温泉があります。レストランも有ります。道の駅は、離れているので役場近くのカルデラ公園で車中泊しました。
噴火口(死火山)に人が住む日本唯一の村キャラクターあかりん⇒赤井川村のPR活動を頑張っていきます!📖カルデラ盆地の発見北海道唯一の「カルデラ盆地」を最初に発見したのは、赤井川尋常小学校の訓導伊藤従理で、「赤井川はカルデラでは」という疑問を地学学会誌に照会したことに始まる。この手紙を帷子次郎(当時東京大学地質学科4年)が目にして、伊藤従理との赤井川の実地踏査を行う。1923(大正12)年9月のことです。丁度、関東大震災の直後で東京は焼け落ち、学校は休業中だった。2人の調査は3日間にわたる。1日目は池田方面を歩き地層を、2日目は落合や轟鉱山を探り地質を、3日目は山梨準高原から小樽奥沢水源地までを巡り外輪山を見た。山梨準高原で岩石を1戸採取して持ち帰った。その後、帷子は1926(大正15)年に学会誌「地理学評論」に「北海道赤井川カルデラについて」という論文を発表する。この論文では赤井川本村を取り巻く大黒山、元服山、山梨準高原を第二カルデラ(洪積世末)と呼び、余市のシリパ、稲穂峠、阿女鱒岳、小樽の赤岩に囲まれた地域を第一カルデラ(第三紀末~洪積世初期)としている。このカルデラの面積は約78.5平方粁(k㎡)で洞爺湖はもとより支笏湖よりも大きいもの。この論文は道内の地学研究者の大反響を呼んだ📖雲の湖秋のよく晴れた朝には霧が盆地内にたまり、「雲の湖」が見られることがある📖赤井川大火1966(昭和41)年3月8日の午後6時頃、村の中心部から出た火は、折からの南西の風にあおられ火勢つのり、村の消防団や住民の必死の消火活動も空しく拡がる。余市・仁木両町の消防の援助を仰いでも2時間にわたって商店街を延焼。罹災者は19棟27世帯で93人となり、被害総額は3千5百万円余りとなった。この災害では村議会は災害対策協議会を設置し対策を進めた。先ず被害者の被災実態を調査する、応急の仮設住宅8戸を建設する、世帯厚生資金の借入をはかり、生活保護の要否をみる、住宅店舗の設備と運転資金の融資をはかり、税金の減免・延納の申請など迅速にことを運ばなくてはならない。そして村内外からの見舞金を罹災者に配分する。現在では毎月8日、この日の災害を忘れないためにサイレンを鳴らし注意を促している。
2007/9/16~9/21カントリーサインの旅(004)
名前 |
赤井川村役場 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0135-34-6211 |
住所 |
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HP | |
評価 |
3.9 |
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スタッフは外国人に優しい。