300年のケヤキの大木が迎える神秘。
賀茂小鋭神社の特徴
300年以上の歴史を持つケヤキの大木が存在します。
奈良時代に設置された牡鹿の柵が近くにあります。
鳥居の隣にあるケヤキが独特の雰囲気を醸し出しています。
当社の創祀年月日は不明ですが、近くに牡鹿の柵(奈良時代737年、緊張が高まる蝦夷の勢力圏と中央勢力圏の境に設置。)の候補地があり、その説が正しければ、牡鹿の柵の守護神として勧請された可能性があります。ufeffufeff三宝院弥介の祖先が福地山の神の山に勧請し、古くは小田神と言われ小鋭神社と称されてました。ufeff平安時代の延長5年(927年)、延喜式神名帳に登載されている式内社・桃生六座の一つであり、古くから格式の高い神社として信仰されてきました。ufeffufeff文治2年(1186年)、その後桃生郡の領主となった紫桃氏の祖が、賀茂御祖神社(下鴨神社・祭神:玉依姫命、賀茂健角身命)と賀茂別雷神社(上鴨神社・祭神:賀茂別雷大神)の分霊を合祀。ufeff現在地より南西の山神の地に祀られ、石巻港との内陸水路交通によって、近代以前は殷賑を極めたといわれています。ufeff後に現在地に遷座し、その後は加茂小鋭神社と称されています。ufeffufeff境内は広く、樹齢数百年の杉や松が生い茂り、社殿へと続く参道には左右に幾つか祠が見られます。ufeff御神像7体が奥の院に安置され、その殆どが木像カヤ材一本造りで鎌倉初期の作品とされ、そのうち木造男神像5体は、昭和31年に県の重要文化財の指定を受けています。ufeffufeff主祭神:小田神、玉依姫神、賀茂建角見神、賀茂別雷神ufeff境内社:山神神社・秋葉神社ufeff例祭日:3月15日、9月9日。
ケヤキの大木があります。
300年を超えるケヤキが鳥居の隣と境内の中にあり、管理が行き届いている訳ではありませんが、何か雰囲気を感じます。なんだか落ち着く場所です。
| 名前 |
賀茂小鋭神社 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 電話番号 |
0225-64-2135 |
| HP |
https://miyagi-jinjacho.or.jp/jinja-search/detail.php?code=310030778 |
| 評価 |
4.1 |
| 住所 |
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延喜式神名帳の陸奥國桃生郡の項に小鋭神社と記載のある式内社の論社の一社。鎮座地は北上川の下流、追波川との合流点にある福地閘門の目の前の丘の上。訪れたのは秋。柔らかな陽射しが樹々の間からこぼれ落ち、とてもいい雰囲気。急な階段を登ると社殿。境内入口にある教育委員会の案内板によると、御祭神は小田神、賀茂別雷命、玉依姫命、賀茂建角見命を祀る。古くは小田神を祀っていて、後に京都より賀茂神霊が合祀され、以来、賀茂小鋭神社と呼ばれている。奥之院に御神像7体が安置してあり、平安時代から鎌倉時代初期の作で県の重要文化財指定という。当初からの御祭神である小田神とは、和歌山県橋本市高野口町に鎮座する小田神社の御祭神、物之部武彦命と同一であると思われる。この辺りは物部氏の痕跡がとても濃い場所で、ナガスネヒコか守屋の滅亡後にこの地に物部氏の一部が来た痕跡だろう。未確認だが、北上川を挟んだ対岸には江戸時代まで速日神社という古社があったらしく、饒速日命を祀っていたようだ。当社から数キロ北西にある式内社の日高見神社は「北上」川の名前の由来とも言われているが、この辺りを日高見国というのは物部氏の東北進出によるものかもしれない。