震災も免れた岩井崎の神社。
琴平神社の特徴
東日本大震災の時、住民が避難所として利用した神社です。
名勝岩井崎に囲まれた立地で、海の近さを感じられます。
昭恵夫人や多くの参拝者が訪れる、由緒ある神社です。
参拝させて頂きました。忙しい中、宮司さんに震災当時の話をして頂きました。
琴平神社で最北の神社。御朱印を頂いてきました。宮司様も親切でした。
安倍総理の妻の昭恵夫人も参拝にいらしたようです。
岩井崎巡りで 途中手前の ⛩️琴平神社に 寄らせて頂きました。宮司さんから東日本大震災当時の津波被害 神社境内が町内の避難場所になった話など聞かせて頂きました岩井崎 龍の松🎵 少し離れた場所にも小さい龍の松 見つけました。☺️御朱印は 岩井崎の 祝崎で 有りがたく頂きました。
東日本大震災の大津波の際、付近の住民がこの神社に逃げて大津波から逃れたそうです。⛩✨🚶♂️🌊津波は神社の手水舎まで押し寄せたそうで津波到達線の貼り紙が貼ってありました。高松宮妃殿下、安倍総理の昭恵夫人が参拝に来られたそうです。
當神社は「怪岩奇石、波上に相列る」名勝岩井崎に鎮座する。寛永12年6月10日西の宮別当、海東山清学院清原了賢は、旧波路上村の村民代表、畠山與平治、畠山與惣右衛門、畠山長七の3人を従えて、四国讃岐國多度郡象頭山に鎮座し奉る金刀比羅宮に赴き、神霊を奉じてこの地に社を建て祀る。以来奥州第一の枝社として崇敬されるに至った(金刀比羅本社記録)。文中元年10月20日、西ノ宮惠比壽神社の境内は波浪の為、危険なる故を以て祭神事代主神を合祀する。藩主伊達綱村公巡狩の際、地獄が崎の地名を改め岩井崎(祝崎)と命名した(封内風土記)。享保2年6月、5代藩主伊達吉村公御領内御巡狩の際、安政元年8月25日、藩主伊達慶邦公が當神社に神社参祭祀料神刀などを奉献して尊崇した。文政元年、片濱領主鮎貝兵庫當神社を崇敬し、金刀比羅の献額を奉納し、以来鮎貝家代々松岩村片濱領内に神輿渡神事には大献膳の式例を執祭する。明治8年5月、村社に列する。明治40年3月、幣帛供進社に指定される。明治42年、波路上杉の下の八幡神社(寛文11年創祀)、内田の庭渡神社(永禄元年創祀)、杉の下、和城の熊野神社(文亀2年創祀)の3社を合祀する。主祭神:大物主大神、事代主神、誉田別神、大海津見神、櫛御毛野神、雷大神例祭日:春季祭典4月10日(現在4月の第2日曜日)、秋季祭典10月10日(現在10月の第2日曜日)、登利子祭6月10日、惠比壽祭10月20日。
太平洋に突き出した岩井崎にあり、海が間近であるにもかかわらず、10.8mという標高によって東日本大震災の津波の被害を受けることがなかったといいます。(手水舎に「ここまで津波到達」との表示がありました)有り難く、”祝崎琴平神社”の御朱印を頂きました。
入口の手洗いの足元まで津波が来た。
話好きの宮司さんで、震災の時の話をたくさん聞きました。
名前 |
琴平神社 |
---|---|
ジャンル |
|
電話番号 |
0226-27-2325 |
住所 |
|
HP |
https://miyagi-jinjacho.or.jp/jinja-search/detail.php?code=310030907 |
評価 |
4.0 |
周辺のオススメ

手入れが行き届いていない神社。