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馬頭観音と馬力神の石碑群。これらは,一般に馬の墓として建てられた場合,境の神として立てられる場合,又は道祖神として立てられる場合などがある。「馬頭観音」と刻む石碑は日本全域で見られるものだが,「馬力神」と刻む石碑は,栃木県と宮城県によく見られるものとされる。以下,観察情報。自然石型文字馬頭観音塔】天保九年(1838年)三月建之銘。古くは江戸後期,当地にて,農耕馬・荷馬として馬を使っていたことが推察される。兜巾型文字馬頭観音塔】大谷石の風化激しく,文字が読めない。このため,建之年月日などの判別が難しい。蒲鉾型文字馬力神塔】裏面に刻字あり。以下に書き起こす(掠れて判読できない部分は……とする)。「明治三十七 八年日露戦役……七才ニシテ今年正月陸軍駄ニ買上ラレ清国満州………奉ジタリ……宇都宮今泉町 今井源治健之」どうやら日露戦争の際に,飼っていた七才馬が陸軍に買い上げられ,満州に送られたこと。そして,今井源治さんなる人物が(おそらく,馬との今生の別れとなったことを惜んで,)この石造物を建立したであろうことが読み取れる。現代でも競馬で海外に遠征する馬もいるが,この時代に宇都宮から中国北部に旅をした馬というのは珍しいものであろう。文字馬頭観音塔】最奥にあるここ最大の石碑。どうやら半壊している様だ。形跡からも元型は特定できない。台座の窓内に走る馬の線刻が確認できる。