川中島合戦の詩を記した石碑。
田中月亀・亀作父子の歌碑の特徴
田中月亀翁の歌碑は、川中島合戦を詠んだ立派な石碑です。
父と子が歌道で互いに称え合った歴史的な作品が記されています。
目立つ石碑の表裏に、戦いの様子と情景が見事に描かれています。
立派な石碑があります。
川中島の戦いの様子を詠った可否だそうです。八幡社の境内の中に有ります。
表の歌は、川中島合戦の様子を父が、裏は川中島合戦後の、こちら一帯の情景を子が歌ったものが、記されているとのことです。2023年現在の戦争も、戦国時代の戦も、静かに生活する市井の人が犠牲になるのは、哀しく許しがたいことだと思いますね。
目立つ石碑です。
名前 |
田中月亀・亀作父子の歌碑 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.3 |
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田中月亀翁は本名亀太郎、現長野市更北の人で、松代藩主真田幸教に仕え、学間に熱心で、歌道に長じ、その子亀作も毛子と号し、風雅の道で知られていた。この歌碑は、田中父子の和歌をしるしたもので、表の和歌は、川中島の大激戦の様子をしのび、裏の和歌は、大合戦の終った後のここ八幡原一帯の情景を歌ったものである。表跡しのぶ川中島の朝あらし いぶきのさ霧おもかけに見ゆ月延 亀麿裏月影の入りにし後も ほととぎすひとこえ残す 小島田の里月延 亀守。