桧原湖と穴沢一族の物語。
奥州檜原穴沢一族廟所の特徴
桧原湖近くにある歴史的な穴沢一族廟所です。
穴沢氏の山賊討伐の貢献と歴史が感じられます。
伊達政宗の会津侵攻を防いだ一族の物語が残っています。
スポンサードリンク
穴沢氏は山賊討伐の効により裏磐梯の地を与えられ伊達政宗の会津侵攻を防ぎましたが調略により内紛で滅亡してしまいます。
芦名氏の家臣として桧原の治安維持に勤められた一族のご苦労に感謝いたします。合掌。
スポンサードリンク
名前 |
奥州檜原穴沢一族廟所 |
---|---|
ジャンル |
|
住所 |
|
評価 |
3.3 |
スポンサードリンク
周辺のオススメ

スポンサードリンク
スポンサードリンク
スポンサードリンク
桧原湖 穴沢一族廟所です。芦名氏の家臣である穴沢一族の五輪の塔と明治21年の磐梯山噴火の慰霊碑があります。五輪塔はもともと江戸時代の桧原宿、崇徳寺境内の墓地にあったということです。ところが1888(明治21)年7月15日、磐梯山で水蒸気爆発がおこり、周囲の集落は大きな被害を受けました。477名の尊い人命を奪った稀にみる大規模自然災害は、土石流による堰き止め湖の形成を導き、桧原宿は現在の桧原湖底に没しました。その際、桧原宿の住民は、桧原地区や金山地区に移り、後の1923(大正12)年頃、渇水して姿を現した湖底から五輪塔を運び出し、現在地近くに置いたとされるのがこの五輪塔群ということです。よく前を通るのですが、調べるまで知りませんでした。^^;