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名前 |
館林藩 森谷留八郎垂休 富塚忠三郎 供養碑 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
5.0 |
この碑は、戊辰戦争のさなか慶応4年(1868)9月7日にこの地で命を落とした四名の供養碑です。此の地は、事蹟調書の地図では黒丸(垂休等三人被害地)の所です。山形市漆山の浄土院には、森谷留八郎垂休の墓があり、館林藩漆山陣屋や留八郎垂休に関する資料も残っています。供養碑を探し当てた昭和34年(1959)当時は、道もなくたやすく立ち入れない森の中だったが、昭和46年(1971)から吾妻小富士開拓事業が始まり作業道が供養碑の近くを通ることになった。令和2年(2020)年からは開拓事業の跡地に太陽光発電の設置工事が行われ、周囲の景色は様変わりしている。