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名前 |
正元元年大日板碑) |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
5.0 |
看板に従って進むと3基の板碑が建っており、左から背の順に並んでいます。左の板碑が正元元年大日板碑と呼ばれているもので、山形県内でも最古の板碑と言われており、もっとも威容を放っています。大日如来の種子が克明に彫られ、その下部には「正元元」(=1259年・鎌倉時代)と刻まれているのが今でも見て取ることができます。中央の板碑は、左の板碑と比較してややスマートな造りになっていますが、形状からしても同じ時期に造られたものと考えられています。ただ、種子の下に彫られた「巳待供養塔」という碑文が明らかに異質な彫りとなっており、そのうえ鎌倉時代にはまだ石塔信仰はほとんど見られていないので、恐らく江戸時代以降に板碑を石塔に転用してしまったものと推定できます。右の板碑は、とりわけて3基の中で小さく、真ん中に倒壊の跡が見られます。ただ、形状からするとほかの3基とほぼ時期的な差異無く造られたものでしょう。しかし、ほかの2基とは異なり種子や碑文が確認できません。いずれも、額部が突出した置賜型板碑と呼ばれるこの地域特有の板碑の型式です。写真撮影月 令和2年4月。