比爪館で奥州藤原氏の歴史を体感。
樋爪館跡の特徴
奥州藤原氏の平泉三館の一つ、樋爪館跡の歴史的価値は高いです。
平泉館や衣川館と並ぶ貴重な史跡として訪れる価値があります。
文化財としての重要性があり、歴史ファンにおすすめのスポットです。
平泉館(ひらいずみのたち)、衣川館(ころもがわのたち)と並ぶ奥州藤原氏の平泉三館のひとつ比爪館(ひづめのたち)。奥州藤原氏初代藤原清衡の四男清綱が紫波郡に派遣され、その子、俊衡、季衡らが比爪氏を名乗り比爪の地の産金等を支配したとされる。文治五年(1189)、源頼朝が平泉を攻めて紫波の陣ヶ岡に布陣した時、比爪一族は館に火を放ち北へ逃亡した。
| 名前 |
樋爪館跡 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 電話番号 |
019-672-5243 |
| 営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
| HP |
https://www.town.shiwa.iwate.jp/soshiki/5_1/2_4_bunkazai_town/4022.html |
| 評価 |
2.8 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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説明板のみで特に跡らしきものは見当たりませんでした。説明板の前半部分に樋爪館について解説がありました。樋爪館は、平泉初代藤原清衡の四男清綱がここに派遣され、その子、太郎俊衡らが居を構えて周辺を支配したとされる。館跡は赤石小学校付近にあり、周辺に堀の跡や平泉と同時期の住居や井戸、倉庫などの跡が確認され、かわらけだどが出土している。箱清水という地名や松原という屋号などはこうした館の空間を想像させる。また、薬師堂(現薬師神社)や大荘厳寺、中島の観音堂んどがあったという。寺の跡にはその後供養のために建てられた古碑群が残されている(以上抜粋) 紫波商工会女性部創立40周年記念事業の助成で設置 平成20年12月 紫波町平泉関連史跡協議会。