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名前 |
伊沢家景の墓 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.0 |
伊澤左近将監家景の墓です。「へぇ?」と思いますよね。この人は源頼朝の家来でその命令により東北一帯を管理していた人です。伊澤家景は「留守役」といわれていました。つまり、本当は源頼朝が東北を管理するところを源頼朝が留守の間はその役を伊澤家景が行っていたということです。「代役」「代行」というイメージがつよい為か名前を知っている人はすくないですね。しかし、岩切城をつくったりお寺を建立したりと調べてみるとあちこちの資料に名前が散在します。そりゃそうですよね、東北全部を実質的に支配していたのですから、しかもこの人の才能は武官ではなく文官として発揮されていたようです。武官は功績が華々しく記憶に残るけれど文官で記憶に残る人は少ないと思う(単に私の知識不足かもしれません)。この墓は時間が降るにつれて人々の記憶から消え土中に半分埋もれていたそうです。ついには農家で藁たたき台になっていたそうです。藁で縄などをあむのですが藁はそのままでは固くてあみづらいので柔らかくするためにたたくのです。墓はその時の「藁たたき台」になっていたというのです。それを1819年に佐々木春泰さんが発見したという記録があります。そして水沢領主留守村福さんが再興したそうです。墓の外観は以下の通りです。左右一対の石灯籠を配置する。高さ1.8m、幅0.8m\u003c刻文\u003e中央に「元祖加灘寺殿故従四位左近将監瑞山雲公大居士」右に「承久三年辛己」、左に「十一月十三日」【注意】墓は個人宅の敷地にあります。お参りするときはくれぐれも失礼がないようにしましょう。【その他】近所の方から「直接、車で個人宅に乗り付けるようなことは避けて、どこかに車を置いてから徒歩でうかがうほうがいい」と話されました。\u003d\u003e近所の方もとても親切でした。墓は清潔に保たれていました。敷地の方の努力と参拝する方への理解と寛容さに感謝します。★38.304284, 140.953476に伊澤左近将監家景の邸宅跡といわれる遺跡があるが宅地になりその痕跡を見ることができない。