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| 名前 |
松尾芭蕉句碑 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 評価 |
3.0 |
| 住所 |
|
■松尾芭蕉句碑富山県新湊にある石碑。射水市の放生津八幡宮にある松尾芭蕉の句碑。名称:早稲の香 句碑天保14年(1843)建立平成元年(1989)7月27日市指定文化財(史跡)●神社の奥に配されている。判り易い表札が有り難い。磯近くの浜風と早稲の稲穂がたなびき、其の香りが折混ざった情景、匂いが加わる楽しい句だ。表札文を以下に記す。『 この石碑に刻まれた「 早稲の香や分け入る右は有磯海 」の句は俳人松尾芭蕉が『奥の細道』の旅で東北地方を巡って北陸に入り、越中を通ったときに詠んだものです。芭蕉は、元禄二年(一六八九)七月十四日に滑川を発ち、海沿いの浜往来を西へ進んで放生津に入りました。 浜往来は、放生津八幡宮の南を通っている越中の主要街道の一つで、ここから一.八キロメートル西方にあった追分の辻で氷見方面と高岡方面に分岐していました。この追分の辻で、万葉の歌に詠まれた名所、氷見の田子の白藤を訪ねようと芭蕉が道を尋ねると「辺鄙なところで宿もなかろう」 といわれたため、氷見行きを断念 して高岡へ向かったとされます。この句碑は、芭蕉の一五〇回忌にあたる天保一四年(一八四三)に、放生津町の俳人子邁が芭蕉を偲んで建てたものです。子邁は、京都で出版された俳諧 集の巻頭序文を執筆した人物で、幕末に越中で刊行された俳諧集 「多磨比路飛」に俳句を投稿しており、当時の放生津で俳諧が盛んであったことがわかります。射水市教育委員会 』