東日本大震災の教訓、忘れずに。
石巻市震災遺構 大川小学校の特徴
頑丈な鉄筋コンクリートの建物が残る震災遺構です。
巨大な北上川のほとりに位置しています。
震災の記憶を伝える貴重な場所となっています。
津波の甚大な被害にあった場所なので海から近い場所(海岸付近とか)かと思って訪れたところ、海から数km以上内陸にある山が迫っている様な少し開けた場所に学校があったので意外な場所で驚きました。結論、すぐ近くを流れる北上川がここまで津波が到達したポイントだったのかと思います。学校の校舎や体育館の壊れ方が凄くて津波によって壊れた所なのか、地震によって壊れた所なのか、それとも両方によって壊れた所なのか区別がつかなかったですね。正直個人的には戦争とかで爆撃を受けた建物かの様に見えました。何故この様な場所でここまで被害があったのかここの震災遺構の場所で解説されてたので理解出来たのと、ここで起こった津波の惨事で何故犠牲者がここまで大勢出てしまったのか、津波の想定外の動き(流動性?)津波の破壊エネルギー等々教訓として学べるのではないかと思わされました。いかんせん外なので、こういう状態のまま維持管理するのもなかなか大変そうにも思えました。
一度行くべき場所です。今は周りに何もありません。でも震災前はたくさんの人々の暮らしがあったのでしょう。ここで小さな命、尊い命がたくさん奪われてしまったこと、風化させてはいけません。去年の春初めて訪れましたが、今年もまた行きます。
初めて来ましたがかなりの津波でここまでやられたんだなと実感をしました。もう14年も経つので早いっていうのも感じました。ただ行った日は少し風が強く少し寒かったですね。ただいい勉強と経験にはなったと思います。
頑丈な鉄筋コンクリートの建物が、こうも簡単に壊れるのかと、自然の驚異に驚いた。直ぐそこに、津波から逃れることができるほど高い裏山があるのに、多数の生徒や教師が犠牲になった現実には、ただ言葉を失う。家族で訪問したが、この景色を前にして、「生きている間に、もし、同じような状況になったら、自分の命を守ることだけを考えて」と、子供に伝えた。
駐車場が広いです。入場は無料です。ここは、屋外から校舎の中を見学するスタイルになっています。あまり目立ちませんが、土手に津波の高さが表示されていました。2階の天井辺りの高さのように見えます。コンクリートの渡り廊下が倒れたり、屋外ステージの様なところのコンクリートの屋根が倒れていたりで、津波の勢いがすごかったことがわかります。生徒、職員の方々が犠牲になってしまった経緯が記載されており、裁判が行われたことも展示されていました。避難方向に謝りは無かったのと思いましたが、避難を始めた時間が遅かったのかなと感じました。当時の状況がわかりませんが、誰もがこのような津波がやって来るとは想像していなかったのではないでしょうか。向かい側に資料館があります。その奥には慰霊碑があります。ぜひ訪れてみてください。当日の様子が良くわかります。
忘れもしない東日本大震災。そんな中大津波で大被害が出た場所です。校舎や体育館、渡り廊下などの倒壊跡を見るとその凄まじさ恐ろしさが想像出来ます。地元の人が、本当は更地にして忘れてしまいたいと言う方もいらっしゃったそうですが、この災害を後世に伝える為に保存したそうです。敷地内には資料館もあり、当時の様子がよく分かりました。オススメです。
小学生の時に、被災した大川小学校に千羽鶴を送りました。10年後の現在、たまたま近くを通りかかったので車で寄りました。ニュースで情報を得るのと実際に目で見て感じるのとでは大きく違いました。今回の見学で胸が苦しくなりましたが、本当に来れてよかったと思います。犠牲になられた子供達と職員の皆様のご冥福をお祈りします。
今、ちょうど同い年くらいになるこどもたちに見せたかったので、フェリー旅で到着した仙台港から足を伸ばして訪れました。至る所の鉄筋のねじ曲がった姿を見ると、当時の津波の衝撃や恐ろしさが今でもひしひしと伝わってきます。また、その当時の状況やその後の学校側や県の対応などの詳細も資料展示館で説明されていて、自分たちがまったく知らなかったことも知れました。こどもたちもここから何かを感じ取ってくれたのではないかと思います。しかし、もうひとつびっくりしたことがこの大川小学校の在りし日の姿がとても開放的でモダーンなデザインだったということ。資料を見ると1985年に建てられた学校らしいですが、40年程経た今見てもとても素敵な造りの校舎で、当時はきっと地域の自慢の学校だったんだろうなと思いました。あと、まだ現存しているグラウンドで、賑やかだったであろう当時の日常と同じように次男とかけっこで競争しました。最後はヘトヘトで足がもつれて転けそうになりましたが、まだなんとか勝てました(笑)とてもいい思い出になりました。
巨大な北上川のほとりの少し低くなった処に建物とグランドがありました。地形的にここは避難所としては向いてないと思いましたが、行政はどうして指定したのでしょうか?その為に避難が遅れたとしたらやり切れなく思いました。すぐ裏に山があり左側の斜面はそんなに傾斜もない様に見えました。色々な事情があったんでしょうが、なんとか子供達が助かって欲しかった。今も4人の子供達が見つかっていないとは絶句しました。今までメディアなどで映像は見ていましたが、実際に自分の目で見るのは全然違います、機会があれば是非来て、見て、考えることが犠牲になった方々の存在意義になると思います。
名前 |
石巻市震災遺構 大川小学校 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0225-24-6315 |
住所 |
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HP | |
評価 |
4.7 |
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目で見ることの大切さそれをここに来て感じました津波の恐怖校舎の遺構から伝わりましたここでどんな思いで避難していたのか想像すると言葉になりません。