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名前 |
中野翁頌徳碑・庚申碑 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.0 |
嘉永六年(1853年)気仙町長部に生まれた中野與作氏を讃える碑。古来より長部濱は鰯漁が盛んな地域であった。その頃の漁法は、小舌網、八手網、待張網、地曳網であったが「益少なく得失償わざる如し」中野翁はその改良に数年没頭す。たまたま、千葉県館山湾の新規鰯網の噂を聞きつけ、明治廿五年同地に赴き漁夫となる。その漁法を学び帰郷するも成果が上がらず一家の財産がなくなるほどであり、周りの人には狂人に映るほど。本人は意に介さず研究を続け、翌二十六年再び千葉の館山に行き関澤明晴氏につき指導を受ける。再び帰郷し、気仙沼町の人堂下九兵衛氏に塤贄を受け、数千籠の漁獲を得る。鰯漁師はこの漁法を準拠し漁を得て、県下産物の首位を占めるようになった。翁は「本郡鰯巾着網施設之嚆矢」となった。その実績と常に公益を先んじ私利を後にする姿勢を讃え、昭和七年にこの石碑が建立された。