先人が歩いた、くねった坂道。
道標です。石には、坂の名前の由来が次のように刻まれています。「平将門が滅ぼされた時、その妹が相馬御所をのがれてこの地にたどり着き、比丘尼となって庵を結び、道行く人々に甘酒を造って売ったと伝えられる。この甘酒はのちのちまで伝わり、案内の湯豆腐や今市のおぼろ豆腐、今市足軽が内職として作った今市おこしなどとともに塩竃街道の名物となった。」文章内の「案内」とは現在の宮城野区東仙台、燕沢辺り、今市は宮城野区岩切字今市です。この坂道は塩釜街道の一部だったらしい。「あれっ」と思うことがあります。道の便利さを考えると街道をわざわざ坂道にせずに平地を通ったほうがいいのに、、、、でも、人々が比丘尼が売る甘酒を目的として坂道をすすんで選んで歩いていたのなら、人の通りが多さからそれが街道になってしまうのかなぁ?と思いました。人の容姿の美しさは数えるほどの年数です。人々の行動に影響するというほど、その比丘尼の人柄ゆえに遍路(まわりみち)をするひとが多かったのではないかと想像しました。後(比丘尼亡き後?)に、塩釜街道は平地を通るようになったようです。
名前 |
辻標六十二番\燕沢 比丘尼坂 |
---|---|
ジャンル |
|
住所 |
|
評価 |
2.7 |
周辺のオススメ

なんで、こんなにくねった坂道を、通って岩切から、利府、松島まで、先人は、歩いたのだと思うと、不思議に思います。