地域史を感じる墓参の道。
國老 楢山佐渡墓所の特徴
神社の駐車場からお墓までの道が狭いのが特徴です。
開戦の経緯や地域史としての位置づけが重要です。
2021年3月23日に訪れた方の感想があります。
開戦の経緯、戦争指導、何も擁護はできないけど地域史の一つとして。お墓自体はこの標識の左奥あがったところです。
2021年3月23日に墓参させていただきました。幕末に倒幕派につくべきか、佐幕派につくべきか、南部藩の藩論も揺れました。主席家老であった楢山佐渡は、藩論を佐幕にまとめ、仙台藩を中心とした奥羽越列藩同盟を組織して戊辰戦争へと進んで行きました。同盟から離脱した久保田藩(秋田の佐竹氏)を討伐しようと二ツ井まで進攻しましたが、佐賀藩の反撃に合い、退却降伏を余儀なくされます。戦後、敗戦の責任を一身に引き受け、盛岡市報恩寺で斬首されました。明治22年に名誉回復され、ここ聖寿寺に眠っています。
名前 |
國老 楢山佐渡墓所 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.2 |
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神社の駐車場からお墓までの道路はすれ違うことばできません。注意をして下さい。