南部氏史跡の起伏を堪能。
沼宮内城跡の特徴
南部氏の歴史を感じられる、起伏のある城趾です。
遠くまで見渡せる素晴らしい景観が魅力です。
仕事の合間にも訪れたい、歴史を感じさせるスポットです。
仕事で行く場所だが、城趾らしい起伏のある地形が見られる。下草が刈られているところがあり、ベンチなども作られているので、なんか整備しようとしているのかもしれない。
日中でも、寂しい所。
とおくまで見渡せると良いと、思いました。展望できたら良いなぁ。
名前 |
沼宮内城跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.0 |
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南部氏史跡。2023年9月26日来訪。沼宮内氏の城。沼宮内氏は、源頼朝の奥州征伐の恩賞として北上川流域に入部した、相模河村氏の分流。沼宮内氏は、戦国期には当初は斯波氏に属していたと思われるが、その後南部氏に属した。1540年に、南部高信が総大将として斯波氏の領内に侵攻し、岩手郡に支配を広げており、その後の1546年には、高信の庶子として信直がすぐ西の一方井城で誕生していることから、その頃に沼宮内氏は南部氏に服属したのかも。南部氏の下で活躍した沼宮内氏の当主は、常利、春秀であり、1566年の鹿角長牛城攻めに援兵、1571年の斯波氏との合戦に参陣、1586年の大館城攻めや、1591年の九戸政実の乱等にも参戦している。九戸政実の乱の際には、沼宮内氏は、南部信直方に味方し、城は豊臣秀次が総大将を務める再仕置軍5万3000人の駐留場所となり、南部氏27代当主利直が、浅野長政、蒲生氏郷らと評定を開いた。沼宮内城は、九戸方の平館城主の平館政包の攻撃を受けて落城したが、乱の後、沼宮内常利は沼宮内城に復帰した。しかし、1592年の諸城破却令により、沼宮内城は取り壊された。国道4号線から沼宮内バイパスに入り、トンネルを抜けた先を左折すると、狭いが道なりに車で城域に辿り着ける。城址公園として整備されているが、堀切や土塁、曲輪等の遺構は残っている。