心安らぐ墓参のひとときを。
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小向バス停のところの砂利道を入ると、左手に鳥居があるのでこれが目印です。小道を進むと案内表示があります。
名前 |
南部安信の墓 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.0 |
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2022年5月14日に墓参しました。場所は、本三戸八幡宮の裏参道沿いに当たります。馬淵川に削られた丘上になります。裏参道の鳥居前に2~3台分くらい停められる駐車スペースがあります。車の方は、こちらから向かわれるのが良いかと思います。南部氏22代南部政康(寛正2年1461年~永正4年1507年)には、5人の息子が居りました。長男が、23代南部安信(明応2年1493年~天文10年1541年)、この墓に眠っている主です。安信が当主となってから、4人の弟達を版図拡大の重要拠点に派遣して、南部氏が戦国大名に成長する礎を築きました。二男石川高信は、大永4年1524年に現在の弘前市にある津軽石川城に入りました。三男南長義は、五戸を統治し、三代主水の乱後、浅水城主となりました。四男石亀信房は、石亀城主から不来方城代となり、斯波氏と対峙しました。五男毛馬内秀範は、秋田県鹿角市に入り、毛馬内城主となります。安信の嫡子、晴政が24代当主となりますが、後継争いや大浦為信の津軽独立、九戸政実の乱と戦国真っ只中で時代が動いて行くことになります。