八戸城跡で桜を楽しむ。
八戸城跡の特徴
八戸城はかつて根城の支城で中舘に代官所を利用した城跡である。
1627年に八戸藩立藩に伴い南部直房が初代藩主として八戸城をスタートさせた。
桜の時期は城跡らしさは薄いが美しい風景を楽しめるスポットである。
南部氏史跡。2017年5月14日来訪。元は根城南部氏第2代政長の三男、信助により根城の支城として築いたのが始まり。信助の一族は中館氏を名乗り、居城は中館と呼ばれた。1627年、根城南部氏が遠野に移封されると、その後八戸藩が分立され、初代藩主南部直房がそれまでの三八城山の建物を修築して八戸城とした。城跡は三八城公園として整備され、土塁、堀等の遺構が一部残存している。また、南部直房公の像等がある。南側に南部直房を祀る三八城神社がある。
市街地の細い路地を進むと、突き当たりに公園となった城跡が出てくる。駐車場が無く、周りの道も細いため車は止められない。城跡の遺構は見つけられなかった。公園として綺麗に整備されていて、市民のいこいの場所になっている。
酒を飲んだ後に酔い覚ましで繁華街から歩いてきました。21時頃なので辺りも暗く、若者が入口で青春を謳歌していました。さて、城といっても今はただの公園になっています。何か城ラシいものは無いかと散策してみましたが、ただの公園でした。当時の城は城郭とかは無く陣屋のような物でしたが、北側(線路側)は少し高台になっており、これも自然の城郭なのかな?と思いました。面影はないかもですが、市民の憩いの場として良い場所だと思います。余談ですが、駅から繁華街に向かうメインストリートには、さまざまな「うわさ」が書かれた看板がありした。一つ一つ読みながら歩くのも面白いです。
専用の駐車場などはないので見学の際は注意。八戸藩が分立され初代藩主の南部直房は新たに居城を築くことなく、三八城山にもともとあった盛岡藩時代の建物を利用し館を修築して八戸城とした。八戸城の本丸があった場所が三八城公園となっている。櫓などは無いので神社を参拝しましょう。
あまり城跡の雰囲気はありません。
江戸時代、石高が低く城主となれない陣屋大名でも、城主格と認められれば門だけは格に相応しいものを作れました。八戸城主であった八戸南部氏は城主格で、立派な門が八戸市博物館と南部会館の前に移築されていますが、城と称してはいても所詮は陣屋なうえ、今となっては単なる官庁街でしかないので、見ごたえどころか見どころと呼べるほどのものがありません。八戸藩初代となる南部直房公の銅像はありますが、よほどの歴史マニアでもなければ、「誰それ?」もしくは「だから何?」としかならないでしょう。ホテル、飲食店ともに多いエリアなので、ついでの立ち寄りであればギリギリセーフでも、わざわざ足を運ぶほどのものではありません。八戸市街の城址であれば、中世城郭の貴重な遺構である根城のほうが断然おすすめです。
かつては根城の支城の方だったのかな。その後藩政においてはこちらが政務の中心になったのかな。
城っぽさはないが、桜の時期はいいところだと思う。
八戸城は1627年にそれまでの八戸の本城であった根城が当主の遠野移封により廃城となったので八戸藩立藩に伴って根城の支城であった中舘に盛岡藩直轄時代に代官所だった建物をそのまま利用し、初代藩主南部直房によって八戸城としてスタートした(ただし藩主は徳川幕府の格付けでは無城主格のため1838年に沿岸警備の功により城主格となるまでは正式には陣屋であった)。現在は三八城(みやぎ)公園として市民の憩いの広場となっている。城の遺構としては一部に土塁が残っている程度で建築物は別の場所に門が二棟残っているだけである。それにしてもなんで南部直房公は根城を本拠にせんかったんやろか?考えられるんは幕府に対する遠慮やけど…う~ん…謎や。
名前 |
八戸城跡 |
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ジャンル |
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住所 |
〒031-0075 青森県八戸市内丸1丁目1−1 中央児童会館 |
HP |
https://www.city.hachinohe.aomori.jp/soshikikarasagasu/somuka/hachinoheshinoshokai/1/1/4390.html |
評価 |
3.2 |
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25年2月訪問。1664(寛文4)年盛岡藩から分離し、2万石を与えられた南部直房が古城を修築して居城とした。明治の廃城令で破壊された。現在は、三八城(ミヤギ)公園として整備され、市民の散策地になっている。春は約50本の桜がいっせいに開花する花見の名所である。