安藤氏の乱の舞台、歴史を感じる場。
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内真部館趾は「安藤氏の乱」の一方の当時者、安藤五郎三郎季久の居館と推定されている居館跡です。居館跡の山側では空堀、切岸を見ることができます。居館跡の西側の丘陵には、県道2号線を五所川原方向に進むと新幹線高架橋をくぐって、山側・西方向に左折していきます。内真部館跡は、山側に切り込んだあたりの右手・北方向に位置します。
名前 |
内真部館址 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.5 |
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鎌倉幕府衰退の主要な要因のひとつとなった安藤氏の乱(1321年〜1325年)の舞台。2023年9月24日来訪。安藤氏の乱は、蝦夷の乱に端を発し、乱の討伐に失敗した蝦夷管領の安藤氏の内紛に発展。幕府が内紛を起こした惣領家西浜安藤季長と外浜安藤季久の裁定に失敗し、戦乱が拡大。幕府が鎮圧の為に、数度に亘り軍勢を差し向けるが、抑えることができず、和談により解決とした幕府においては、蝦夷(アイヌ)の異民族の襲来は、蒙古襲来と同格の国難として扱われ、東夷成敗権を有する幕府が武力制圧に失敗した事は、求心力の低下を招いた。内間部館は内乱の当事者の一方である安藤季久の居館と言われている。国道280号線を左折、屏風山内間部線を西進、東北新幹線の高架や内間部川を越えて、左カーブを曲がった先に、右側に小道があるので、右折。正面の丘陵が内間部館がある場所であるが、入口はそのまま未舗装路を道なりに200メートル位進むと、左側に丘陵へ至る道が現れる。