四日市の神社、志氐しで神社!
志氐神社の特徴
四日市市内でも評判の高い、志氐神社の魅力を体感できます。
地元の氏神として地域を守っている神社です。
不自然にこんもりとした境内が古墳のようで興味深いです。
志氐「しで」神社と呼びます。これまた直接変換しませんね。最寄り駅は、近鉄名古屋線霞ヶ浦です。準急までが止まる駅です。駅を出たら、右へそのまま突き当たりまで行ってまた右へ、踏切の先に鳥居が見えます。鳥居を通り石段を上り境内へ、拝殿の横に出てしまいました。先程通った鳥居の他に、左へ進むと大きな鳥居がありました(お詣りの後に確認しました😅)。古墳の上に神社があるのですね。お祓いの神様の気吹戸主神様が主祭神の珍しい神社です。私がお詣りの際にも、お祓いをされている方がいました。なので御朱印を頂く際、お祓いが終わるまで待つ事に。境内社にお稲荷様があります、「妻恋稲荷神社」です。東京の湯島天神の近くにも似た神社があったなと感じて、神社の由緒書きを拝見していたら、やはりそうでした。東京の方は「妻戀」神社ですね、何故お稲荷様がついたのでしょうかね。
たまたまこの近くを訪れた際に時間が少し空いたので訪れました。大きな神社で境内も静かで落ち着ける場所でした。境内には妻恋稲荷神社があり、たくさんの鳥居や幟旗が奉納されていました。境内のベンチでゆっくり休憩させていただき、英気を養うことができました。
地元の氏神さまで、地域をお守りして頂いております。年末には、一年無事に過ごせた御礼に茅の輪くぐり致しました。早く世界が、平安になりますように。氏子の皆様もとても親切です。
ウィキペディアによれば・・・延喜式内社。社記に垂仁天皇の時代の創建された神社となっている。志氐(漢字表記では「氏」の下の部分に「一」の文字があり)「シデ」とは御幣の意味である。桑名より鈴鹿の忍山宮への遷幸の路次に当っている為である。また天武天皇が壬申の乱に際し、吉野より鈴鹿を経て、朝明郡迹太川辺にて伊勢神宮を望拝した時、木綿取垂て大御身の禊をなしたところとする。志氐(漢字表記「氏」の下に「一」)の埼、志氐が野の地名ある。祭神は風の神の気吹戸主神とイザナミとイザナギなどである。古代国家の死者の霊魂と関係がある神社である。古墳時代の支配者の霊魂の神社とされる。古墳時代の古墳跡地に立地している古墳神社である。[1]古墳の台地の地形を利用して神社が建設された。古代日本の大和時代や奈良時代の朝廷内の戦争の軍事基地として古墳神社内で祈願した言い伝えあり。神社付近に羽津城(赤堀氏一族の羽津氏支配地)跡地と志氐神社古墳の歴史遺産がある。大日本帝国時代に建設された伊勢神宮や明治神宮の拝殿施設ある。須賀社など羽津村と八幡村と吉沢村と別名村など近隣神社を合祀した。[2]明治6年に郷社に万古焼が奉納された昭和6年に三重県の県社に指定される。[3]羽津村の森氏が江戸時代から昭和初期の神主であった。妻恋稲荷神社が神社境内にあり。日本武尊と弟橘媛命夫妻の恋愛及び縁結び関係の神社がある。
車で通りすがり、不自然にこんもりしているので古墳?と思い。停車。やっぱり、古墳でした。4世紀の前方後円墳の上に神社。
素晴らしい神社です。敷地内に妻恋稲荷もあります。
名前 |
志氐神社 |
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ジャンル |
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電話番号 |
059-331-0620 |
住所 |
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HP | |
評価 |
4.1 |
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四日市市内では上位にくる神社です。夏と秋には例祭等をおこわなれます。この時には境内に屋台が少しだけ出て唐揚げや焼きそばなどが売られます。ジュースやゲーム?などがあります。獅子舞なども舞ったりします。