棟方志功の足跡を辿ろう。
棟方志功 出生の地 碑の特徴
棠方志功誕生の地として訪問者を惹きつける場所です。
加治屋を営んでいた棟方志功の生家の跡地です。
棠方志功記念館の後に立ち寄るに最適なスポットです。
早朝、ホテルを出て散策していたら『棟方志功出生の地』を見つけました。某お宝査定のTV番組でもお馴染みの名前。どんな作品が在るのかと尋ねて観ましたら……あくまで『棟方志功の産まれた場所』でした。ビルの『青森県・歌謡民謡三味線愛好会事務所』と如何にもなスナックの前に在り、知らなきゃ『民謡歌手?』と間違えられちゃいそうです。柔らかいタッチの多色刷り版画、特に宗教的な作品が多く、必ず貴方も目にしている筈。海外からも高い称賛を得て、色々な賞を受賞しています。出来れば『棟方志功記念館』も行きたいのですが時間が無いから此処まで。
棟方志功出生の地です。
棟方志功記念館に行った後に駅の近くをブラブラしていたら発見しました。
かつて加治屋を営んでいた棟方志巧の生家は、ここにあったんですね。つい見逃してしまうところでした。善知鳥神社の目と鼻の先。善知鳥神社の駐車場敷地の端から100mも離れていない場所に棟方志巧「出生の地」と書かれた小さな碑がありました。20世紀の美術を代表する世界的巨匠、版画家 棟方志巧。「ねぶた」が大好きだったそうですね。善知鳥神社が近くにあったことで、子供の頃はの境内が遊び場、青年時は、善知鳥神社の境内や合浦公園がスケッチの場だったそうです。彼が20歳の頃、ゴッホの「ひまわり」に心を奪われ「わだばゴッホになる」と言ったのは有名な話ですね。彼は絵の勉強をする為、21歳の時上京し、東京での生活を始めます。結婚したのは、1930(昭和5)年、彼が27歳の時。この善知鳥神社で鶴田町の出身の赤城チヤと結婚式を挙げたのだそうです。ちなみに彼の作品が初めて売れたのは、彼が33歳、上京から12年目のことでした。現在、善知鳥神社の社殿内部には棟方志功作の「うとう親子の図」が掲げられていますが、生まれ育った生家の近くの神社が 棟方志巧にとって大変思い出深い場所として刻まれていたことがよく分かります。
名前 |
棟方志功 出生の地 碑 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.5 |
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版画家の棟方志功が生まれた場所との事だが、現在はスナックがある建物になっている。構造からみて跡地にあとから建てられたのだろう。ここで生まれたんだなという感じ。