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名前 |
昭和新山記念碑 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
2.0 |
昭和35年(1960年)3月31日に、国鉄胆振線の『壮瞥駅』前に建立された石碑です。かつて昭和新山を観光する際、うってつけの駅が壮瞥駅でした。昭和35年当時、壮瞥駅を降りてすぐ左手の目立つ場所にこの石碑があり、石碑の向こうに昭和新山が見えた模様です。史書によれば、ここで石碑と並び昭和新山をバックに、写真を撮る人もいたとのこと。たぶん、それが狙いでこの石碑を建てたのでしょう。実際、当時の観光案内には、壮瞥駅で降りた観光客が、駅前からバスで昭和新山を目指す様子の写真が使われています。しかし昭和61年(1986年)、胆振線が廃止となり、昭和新山を目指す観光客が、列車で訪問する可能性が皆無となりました。行政区分的には壮瞥町内にある昭和新山なのですが、鉄道が無くなった以上、わざわざこちらの石碑に立ち寄る必要はありません。旧駅前にあった広場は、壮瞥町役場兼地域交流センター『山美湖』の出入り口となったものの、いつしか昭和新山記念碑は、人々から存在を忘れ去られていきました。そもそも『昭和新山記念碑』は、文字通り昭和新山の麓にしっかり建っているのです。そっちがオリジナルであり、令和の現在からすると、『なんでこんな場所に昭和新山の石碑があるんだ?』と、首をかしげる人が多いことでしょう。汽車に揺られて駅を降りれば、遥か昭和新山を仰ぎ見て、ちょうどいい場所に石碑があったからこそ、活用されたのです。今更、昭和新山本体から遥か離れた場所にある、こちらの石碑を見に行く理由など皆無でしょう。石碑周囲には家屋が建ち、植物が繁茂しており、既に石碑越しに昭和新山が見られなくなっています。あるいは、誰も石碑を見なくなったために、植物が繁茂しても、気にしなくなったのかも知れません。訪問時、とても哀しい状況になっていました。今回、昭和時代、大勢の観光客で賑わった壮瞥駅前の忘れ形見として、投稿させて頂きます。