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名前 |
大東亜戦転進記念碑 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.0 |
人知れず建てられているこの記念碑だが、映画化されてもおかしくないドラマに満ちている。昭和20年、フィリピンで孤立した海軍魚調隊24名に対し、本土方面への「転進」命令(つまり帰国撤退命令)が下った。ルソン島を米軍の攻撃を受けながら横断し、東海岸にたどり着いた時には9名しか生き残ってなかった。9名は木を伐り、椰子葉で帆を作り、服を裂いて索具にしてイカダを組みあげ、わずかな食糧と水を積んで黒潮に乗り出した。臺灣東岸を経由し、数か月後ついに波照間島に到着。しかし生存者はわずか4名。波照間島民に救助され、沖縄戦後ようやく本土に復員することができた。戦後、生存した隊員と遺族、そして波照間島民の尽力で、この記念碑が建てられた。刻まれた歌は、生存者の一人、石川茂只元海軍少尉(山梨県出身)。我がカヌー 怒涛の中に 窮まりて 漂う海に 星一つ見ゆどうか波照間に来ることがあれば、立ち寄ってせめて一礼したい。