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名前 |
神楽岡碑 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.0 |
明治22年12月28日、この神楽岡の地に離宮を建てることが内閣で決定し、この一帯は世伝御料地となりました。明治44年には皇太子であった大正天皇が神楽岡に行啓せられ開拓が進む上川地方をご覧になられました。大正9年には上川神社の境内地としてこの神楽岡を借り、同10年世伝御料地解除、同13年にはこの地に神社を移遷し、神社の借地は神域として編入されました。これらの事蹟を記して後世に伝えるためとして、市民によって昭和8年この神楽岡碑が建てられました。題額は宮内大臣一木喜徳郎、撰文は北海道庁長官池田秀雄、碑文は上川神社社司柴田直胤の揮毫で高さ3、95メートル、幅1、51メートル、幅30センチ、歌碑は永山武四郎の嗣子男爵永山武敏氏の揮毫により、永山将軍の「上川の清き流れに身をそそぎ、神楽の岡に幸行仰がん」の和歌と建碑賛同者の氏名が刻まれて神楽岡碑左後方に建立されています。上川神社のホームページから抜粋。