霊松山西光寺で心安らぐひとときを。
西光寺の特徴
浄土真宗本願寺派に属する霊松山西光寺です。
大阪府の地名2に位置している歴史的な寺院です。
詳細な説明は地名に掲載されています。
霊松山西光寺について、大阪府の地名2(P968)に説明があります。同寺は室町時代にその興りを持つ古いお寺で、その創建に近江国の名族佐々木氏につながる伝承があります。 『西光寺(東大阪市吉原)』浄土真宗本願寺派、山号霊松山、本尊阿弥陀如来。寺伝によると永正5年(1508)正善は、俗名を佐々木重綱といい、江州佐々木氏の一族で、文明年中(1469-87)戦乱を避け当地に移住。久宝寺村(現八尾市)にいた蓮如に帰依して出家し、今米村の中氏の援助で当地に道場を創設したという。もとの山号は好月山という。現寺号となったのは正保4年(1647)。当寺の住持藤井氏は豊臣方の武将木村重成の縁者で、重成も幼少の頃から当寺に出入りしている。その子、門十郎は藤井家の養子となり、代々当地一帯の六郷庄の大庄屋を務めた(大阪府全志)。また、同寺は大和川付け替え事業の中心人物であった今米村の中氏とのつながりが深いお寺でもあり、その付け替え工事の関係で亡くなった方々も中氏がこのお寺で供養したとの事です。 それから、お寺の建物を見ると、少し違和感があります。浄土真宗系のお寺とは屋根の形状が違うのです。同寺は天台宗から改宗しており、屋根の形状は、その経緯を語るものです。元の山号は「好月山」で、現寺号となったのは、正保4年(1647)と伝わっている事から、その時に改宗があったのかもしれません。ただ、現在の本堂の屋根の形状との関係がどういう経緯があるのかは不明です。本堂の建設は、その後のような感じもしますし...。 それにしても、河内国に根付いた近江国の名族佐々木氏一派の歴史が今も残るというのは、大変興味深いです。
霊松山西光寺について、大阪府の地名2(P968)に説明があります。同寺は室町時代にその興りを持つ古いお寺で、その創建に近江国の名族佐々木氏につながる伝承があります。 『西光寺(東大阪市吉原)』浄土真宗本願寺派、山号霊松山、本尊阿弥陀如来。寺伝によると永正5年(1508)正善は、俗名を佐々木重綱といい、江州佐々木氏の一族で、文明年中(1469-87)戦乱を避け当地に移住。久宝寺村(現八尾市)にいた蓮如に帰依して出家し、今米村の中氏の援助で当地に道場を創設したという。もとの山号は好月山という。現寺号となったのは正保4年(1647)。当寺の住持藤井氏は豊臣方の武将木村重成の縁者で、重成も幼少の頃から当寺に出入りしている。その子、門十郎は藤井家の養子となり、代々当地一帯の六郷庄の大庄屋を務めた(大阪府全志)。また、同寺は大和川付け替え事業の中心人物であった今米村の中氏とのつながりが深いお寺でもあり、その付け替え工事の関係で亡くなった方々も中氏がこのお寺で供養したとの事です。 それから、お寺の建物を見ると、少し違和感があります。浄土真宗系のお寺とは屋根の形状が違うのです。同寺は天台宗から改宗しており、屋根の形状は、その経緯を語るものです。元の山号は「好月山」で、現寺号となったのは、正保4年(1647)と伝わっている事から、その時に改宗があったのかもしれません。ただ、現在の本堂の屋根の形状との関係がどういう経緯があるのかは不明です。本堂の建設は、その後のような感じもしますし...。 それにしても、河内国に根付いた近江国の名族佐々木氏一派の歴史が今も残るというのは、大変興味深いです。
名前 |
西光寺 |
---|---|
ジャンル |
/ |
電話番号 |
072-961-4357 |
住所 |
|
評価 |
4.3 |
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浄土真宗本願寺派 西光寺。我が家と同じ宗派で安心感がある。境内は緑あふれ、本堂も鐘楼も非常に感じよし。