スポンサードリンク
スポンサードリンク
名前 |
高浜虚子の墓 |
---|---|
ジャンル |
|
住所 |
|
評価 |
4.0 |
俳人・小説家の高浜虚子のお墓。寿福寺の墓地、岩山を掘ったやぐらの中に、娘、孫娘のお墓と並んだ真中に在ります。正岡子規に師事し、子規の死後、虚子は友人河東碧梧桐とともに俳句運動の発展に尽力、俳誌『ホトトギス』を継承、俳壇に於いて全盛の時代を築きました、碧梧桐とは俳句観の違いから袂をを分かつことになってしまいましたが、碧梧桐が亡くなった翌年の昭和12年には、かつての親友の死を悼む句「たとふれば独楽のはぢける如くなり」を詠んでいます。生涯に20万句も詠んだといわれる虚子、明治43年、家族で鎌倉市に移住、昭和34年4月8日、脳溢血のため、鎌倉市由比ガ浜の自宅で永眠、85歳没、戒名は虚子庵高吟椿寿居士。忌日の4月8日は虚子忌、椿寿忌と云われています。棺の中には虚子の好きだった八重椿の小枝が入れられてたそうです。