江戸時代の歴史を感じる妙楽寺末寺!
東光寺跡(有章館跡)の特徴
江戸の頃に由来する歴史的な寺院です。
臨済宗莱福山東光寺の末寺として存在します。
田村の妙楽寺に関連する文化的なスポットです。
臨済宗莱福山東光寺は田村の妙楽寺の末寺で、欣向和尚(慶長十年(一六〇五年)没)によってこの地に開山されたと伝えられています。明治十四年(一八八一年)に檀家一同が本尊と共に妙楽寺に移り、廃寺となりましたが、ここには寺子屋が開かれ、四之宮の大念寺とともにこの地域の庶民教育の先駆けとなりました。こうした背景から、学制の施行により明治六年(一八七三年)この東光寺内に現在の平塚市立大野小学校の前身となる有章館が創設され、近代学校教育が始められました。有章館はその後、四之宮村大会原に移転して四之宮小学校と改称し、さらに明治四十二年(一九〇九年)に現在大野小学校のある東真土ニ丁目に移転して尋常高等第一大野小学校となりました。
当地には臨済宗莱福山東光寺(妙楽寺末)という寺院があり、寺子屋が開かれていたそうです。学制発布により、明治6年に有章館という学校に発展し、現在の大野小学校の基礎となりました。
名前 |
東光寺跡(有章館跡) |
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ジャンル |
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住所 |
〒254-0018 神奈川県平塚市東真土2丁目12−1 平塚市立大野公民館 |
評価 |
3.7 |
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江戸の頃の本に新土村の箇所に2寺のうちの1寺。今は存在しないようであるが、地名自体なくなってしまった新土村が、この辺りにあったという事が分かっただけでもありがたい。❶【参考 新編相模風土記 1830年】東光寺本尊 薬師 聖徳太子作 長さ75㎝(2尺5寸)△明王権現社 不動を祀る。この社村内明王塚に在りしを貞享元年(1684年)此処に移す。[号] 菜福山[宗教] 臨済宗 田村 妙楽寺末[開山] 欣向(慶長10年(1605年)6月28日 卒)