飢人地蔵尊に祈りを。
川端飢人地蔵尊の特徴
享保の大飢饉を祈念してまつられたお地蔵様が特徴です。
謎の多い福博八十八ヶ所の34番札所としての歴史があります。
参拝時に御賽銭やお線香をお願いする場所です。
享保の大飢饉(1732年〜)を祈念してまつられたお地蔵様。全国で264万人、当時の博多の3分の1の人口が失われたという大惨事。思いを新たに。
近くをお通りの際は、御賽銭、お線香をお願いします。お地蔵様は良い顔しています。
戦前に生まれ、現在では資料等が無く謎の多い福博八十八ヶ所の34番札所。渕上から北へ進み、中洲方面へ来ると見える。歓楽街の端とは言えミスマッチ感が有るかもしれないが、お堂は綺麗にされており、信仰は篤い。
平成29年6月23日参拝地蔵堂内に掲げてある「飢人地蔵尊由来」によれば次の通りである。 享保の大飢饉(享保17-19年1732-1734)で亡くなった人々の遺骸を集めて葬り後人が石の地蔵尊1基を刻みその場所にお堂を建てた事に始まるようである。 毎年、8月23、24日の2日間上川端町1、2、3の組が施主となって盛大な施餓鬼供養せがきくようを行っているという。この大飢饉では、当時の博多の人口(男11054人、女9462人)の3分の1の6000人が死亡したという。背後は福岡一の夜の歓楽街、中洲のビルが連なっている。 前は那珂川が水をたたえ、その対面に川端商店街である。 地蔵堂は間口2間ほど、2階建てのこじんまりしたものとなっている。 前には「福博 八十八ケ所三拾四番札所」の石塔が建てられている。地蔵堂内には中央に地蔵菩薩、その向って左手には石仏が数体安置されている。 真新しい生花が供えられ綺麗に清掃されている。 この地に住む人々の信仰心の篤さを感じる場所である。
名前 |
川端飢人地蔵尊 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.4 |
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たまたま通りかかって見つけました。飢饉の時に亡くなった人たちの供養のお地蔵さまのようです。こういうものはずっと残しておいて欲しいです。