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| 名前 |
日羅山観音寺 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 評価 |
4.5 |
| 住所 |
|
曹洞宗日羅山観音寺(東福寺)宇城市小川町で最古の創建(貞元元年西曆九七六年)の寺で本尊は聖観音。寺内には全国九基あるうちの一つの【新免武蔵塚】・【芭蕉塚】・【萬霊塔】・【十六羅漢】等がある。古代において正院(八代郡家の正倉跡)観音山から北出来村までの一帯を正院と称しこの辺に役所があったものと推察される。日羅公は『聖徳太子伝暦』や『今昔物語集』などでは、聖徳太子が師事した、百済の高僧(密教僧)であるとされている。■日羅公由来墓は父阿利斯登の縁の地である熊本県八代市坂本町百済来下馬場の百済来地蔵堂前に現存する。・『日羅公伝』によれば、墓は現在の八代市坂本町百済来下の地蔵堂前にあることが記されている(実地にて確認済み)・『新羅国志』に、「久多良木村の馬場に地蔵堂あり。是は日羅を葬れる所と云伝ふ。」と記されている。(実地にて確認済み)・『百済来村久多良木地蔵堂文書』に、「久多良木字馬場の地蔵堂は、日羅墓所の印として建立した」と記されている。熊本県津奈木町福浜とも伝わる。(実地にて確認済み)・鹿児島南さつま市、大分県大野川流域や宮崎県などに多くの密教系寺院を開基し、磨崖仏を建立し、坊津にその名称の起源となった龍厳寺(後の真言宗一乗院)3坊を創建したとされている。・『百済来村久多良木地蔵堂文書』によれぱ、光仁天皇の御宇の宝亀元年(770年)、桧前中納言政丸が肥後国を治めていた時、日羅を慕い、百済来に在住していた日羅の孫である加津羅のもとを訪ね、釆地を与えたという。■日羅山と名の付く山名日羅山東福寺・観音寺(熊本県宇城市小川町)日羅山金剛院(福岡県那珂川市)日羅山橋田寺(熊本県菊池市七城町橋田)日羅山・竜宝山松森寺(宮崎県東諸県郡国富町大字本庄字田尻)