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| 名前 |
嘉代子桜 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
|
嘉代子桜原子爆弾が昭和20年8月9日午前11時2分、長崎市上空で炸裂しました。爆心地近くの城山国民学校(現在の城山小学校) で 「学徒報国隊員」 として働いていた長崎県立高等女学校4年生の林 嘉代子さん (当時15歳)も多くの女子学生 とともに、原子爆弾の犠牲になりました。嘉代子さんのお母さんの林津恵さんは、若くして命を落とした娘や他の女学生を しのんで、城山小学校の校庭に桜の木を植えました。長崎市に投下された原子爆弾の第一目標は、当時、まさにこの地にあった“小倉 陸軍造兵廠”でしたが、当日の小倉上空が視界不良であったため、原子爆弾を搭載 した爆撃機B29は第二目標の長崎に向かい、長崎に原子爆弾を投下しました。北九州市では、このことを鑑み、長崎市の市民団体「かよこ桜・ 親子桜を広める 会」からご提供いただいた桜を 「嘉代子桜・ 親子桜」と名付け、北九州市内の学校 や公園に植樹しています。令和3年、長崎市の 「城山小学校原爆殉難者慰霊会」から、新たに城山小学校の 桜を直接接ぎ木した苗木をご提供いただきました。また、この苗木は植樹するまで の約10ヶ月間、北九州市立西小倉小学校の児童が心を込めて育てました。そして、令和4年4月19日、長崎市に投下された原子爆弾の第一目標であった “小倉陸軍造兵廠”跡地に開館した 「北九州市平和のまちミュージアム」 に、平和の 願いを込めて植樹しました。長崎市の城山小学校の 「嘉代子桜」 とともに、北九州市の地にあるこの「嘉代子 桜」の成長を通じて、ひとりでも多くの人々に平和の心が広がり、後世に伝わって いくことを願っています。とありました。戦争の記憶は薄れていっても残さないといけないものはあります。見て考えるものがありました。