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名前 |
五卿登陸碑 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.0 |
文久3年(1863年)八月十八日の政変により、京都から逃れた尊王攘夷派の七人の公卿、公家は3隻の船に分乗して長州に向かいました。(七卿落ち しちきょうおち)この碑は、七卿のうち五卿が徳山に登陸した記念碑です。【一番船】三条 実美(さんじょう さねとみ)【二番船】三条西季知(さんじょうにし すえとも)壬生 基修(みぶ もとなが)四条 隆謌(しじょう たかうた)錦小路 頼徳(にしきこうじ よりのり)【三番船】東久世 通禧(ひがしくぜ みちよし)沢 宣嘉(さわ のぶよし)3隻とも三田尻の英雲荘をめざしましたが、暴風雨にあい三田尻まで行けたのは三番船だけでした。一番船と二番船は、笠戸島で暴風雨をさけ一泊し、翌日 徳山に登陸し陸路で三田尻の英雲荘に向かいました。途中、毛利元蕃屋敷で昼食、福川で夕食をとり、深夜に三田尻英雲荘にたどり着きました。