横浜公園で歴史を感じて。
横浜公園は我が国最古の公園で、大正12(1923)年9月に発生した関東大震災では、 多くの市民が横浜公園へと避難し、命が助かったといったことが書かれています。昭和4年ということは約100年前の文章ですが、なかなか読むのが大変です。今の口語体で書かれた文章も百年後には、何を言っているのか分かんねぇと言われてしまうのでしょうか。それとも昔は石に情報を記録していたのかと驚かれるのでしょうか。横浜公園の歴史ということであれば、公園入口のブライトン像隣のパネルに詳しく記載されていますね。以下は石碑の文面。橫濱公園は明治九年を以て創設せる我国最古の公園なり初は神奈川縣の所管なりしが同三十二年來横濱市の管理に帰し同四十二年に至り改造に着手し漸く然美を得たり斯くて大正十二年九月大震火災の際本市の大半猛火に蔽はるるや多数の市民は緑陰池邉に避難して危うくも九死に一生を得たり今次復興事業として新公司を起工するに方り裏面鐫剋の有志悠那惟次郎外諸氏は発起して特に、樹栽を資け以て美化の一助に供し併せて再生謝思の意を表せんとするや忽ちにして會て避難したる人々の賛同一和を得て計書の遂行を告げたるは今にしてこの美挙たるや論を俟たず殊に幾百星霜の後其の鬱蒼繁茂の状を観んかと必ずや回想の念を禁せざるものあるへ志仍ってここに由来を録して之を他日に傳ふと云爾昭和四年三月橫濱市長正三位勲二等有吉忠一。
名前 |
横浜公園由来の碑 |
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ジャンル |
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電話番号 |
045-671-3648 |
住所 |
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HP |
http://www5d.biglobe.ne.jp/~kabataf/kantoujisin_ishibumi/yokohama_naka/naka1.htm |
評価 |
4.0 |
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石碑には最古と刻まれているが、正確には2番目である(最古は山手公園)そういう所や肩書に爵位が入る所も含めて時代を感じる要素なのかもしれない。状態も良く視認性も高い石碑である。書は当時の市長、有吉忠一。