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名前 |
西南の役 台場跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
5.0 |
山鹿市平山堂ヶ原地区に建つ、西南戦争台場跡の木標です。しかし肝心の台場はここでは無く、東に1.5km先とか...。実際にはこの地点から東南東に見える、標高247.3mの山だという事を現地で教えてもらいました。その後早速登ってみたのですが、尾根を登る途中に、塹壕跡と思われる不自然な小さな窪地が幾つか見られ、また頂上の三角点周辺では、3基の台場跡(堡塁跡)を無事発見出来ました。向きは北西側2基,南東側1基で、三楠通(十町街道)と呼ばれる眼下の主要道を警戒する為の、薩軍側の台場ではないかと思われます。薩軍は明治10年3月3日に、山鹿から豊前街道方面へ進軍する本隊とは別に、岩間間道を通って北の平山方面へと進軍する支隊が、平山城跡の官軍駐屯地までも突破して堂ヶ原に到達後、そのままの勢いで一山超えた板楠へと至るのですが、翌日になり田原坂が落ちたとの報を受け(後に誤報と判明)、本隊と共に山鹿まで戻ってしまいます。その後に薩軍がこの付近まで攻め込んで来れたとは思えないので、これらの台場の寿命は短かったのかも知れません。\u003c木標の説明文\u003eこの道路は小群より十町に至り兼松に通じる道路で、三楠通とも言われています。明治十年の西南戦争では両軍の通路になるなど軍事面でも重要な道路でした。県道の開通によって人や牛馬の通行は県道に移り、今では三楠通の名も忘れがちで、所によっては、その姿が消えようとしているところもあります。