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名前 |
井澤弥惣兵衛生家跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
5.0 |
江戸時代中期の治水家として河川改修や灌漑、新田開発など数多くの土木工事で活躍し、紀州流土木工法の始祖とされる井澤弥惣兵衛為永(いざわやそべえためなが)の生家跡に立つ記念碑。弥惣兵衛は紀伊国那賀郡溝ノ口村(後に分村して新村。現在の海南市野上新)の豪農の家に誕生。先祖は清和源氏の新羅三郎義光であり、根来寺の僧籍にあった先祖が羽柴秀吉による根来攻めの後に当地に移り住んだという。屋敷が氏神である野上八幡宮や法然寺と同じ高さの土地であることに気付き、「勿体ない」(畏れ多い)として一段低い土地に移したため、生家跡は現在耕地(解説板によれば水田)になっているようです。なお、当時の建物ではありませんが、移転後の土地には現在もご子孫(弥惣兵衛の弟の子孫)が住んでおられます。県道沿いに砂利敷の駐車場があり、北に向かって徒歩5分も掛からない場所にありますが、駐車場から当地に通ずる道らしき道がなく(畑の脇の畦道を通ります)、初見では迷ってしまいますので、案内図などがあればなお良いと思います。