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名前 |
羽端鹿助君頌徳碑 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.0 |
那賀郡田中村(現在の紀の川市)竹房(たけぶさ)出身で同村長、那賀郡会議員、和歌山県会議員などを歴任した羽端鹿助の頌徳碑(顕彰碑)。また、実業方面においても、紀北蚕糸株式会社(製糸工場)社長、小田井水利組合委員長、那賀郡畜産組合長などとして活躍したようです。彼の最大の功績は県会議員として竹房橋(鉄橋)の架橋に尽力したことであり、昭和4年(1929年)に竣工すると、周辺地域の交通事情が飛躍的に向上することとなりました。架橋前は平安時代以来の「竹房の渡」と呼ばれる渡船により往来するほかなく、川が増水すると当然交通に支障を来す上、大正4年(1915年)には渡船の転覆により女学生らが溺死するという悲惨な事故が起きている(少し下流に女学生遭難之碑があります)など、架橋は村民の悲願であり、故に頌徳碑が建立されたものと推察されます。新四国八十八箇所の第一番の堂宇の裏手にひっそりと佇んでいますが、地域の歴史を考える上では忘れてはならない記念碑であると思います。