墓所の奥に潜む歴史の宝、桑山重晴の物語。
桑山重晴は尾張国出身の武将で、長じて羽柴秀長(秀吉の弟)の配下となり、天正13年(1585年)の和歌山城築城後に初代城主(城代)を務めた人物です。嫡孫・一晴は大和新庄藩主、次男・元晴は大和御所藩主となりましたが、いずれも子孫が改易され、大名としては存続できず。ただ、子孫には旗本となった系統、紀州藩士となった系統、画家の桑山玉洲を輩出した系統(商家)などがあるようです。墓碑は砂岩製で文字が摩耗してしまっているものの、左側面に「桒山法師」や「桒山修理大夫」(修理大夫は重晴の官職)とあるのが辛うじて分かります。公式サイトには重晴の墓があることが紹介されていますが、現地には案内板がなく少し分かりにくいです(隣接する真砂配水池との間のフェンス沿いにあります)。
名前 |
桑山重晴墓所 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.0 |
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珊瑚寺の本堂横の階段を登っていった墓所の奥にあります。案内板などはなく分かりにくいですが一際存在感を放っているのできっと気付くと思います。隣接の施設の柵の手前です。賤ヶ岳の戦いなどで名前を見ることはありますが余り知られることのない桑山重晴公。ここ和歌山で出会えます。